2010.11.27
# 雑誌

作家・工藤美代子氏が『悪名の棺』で明かした
日本の黒幕・笹川良一「艶福家の私生活」

愛人は10人以上、好物はメザシとチャーハン
週刊現代 プロフィール

 食生活も質素であった。夕食のおかずはメザシ2本が定番。ご飯は切り干し大根を一緒に炊いた大根飯。あるいは生卵かけご飯だ。

 うどんは、とけるまで煮込んだ鍋焼きうどんが好物で、具はなし。著書では側近がこんな話をしている。

「競艇関係の会議のときの昼食は、鍋焼きうどんと決まっていましたけど、汁を吸い尽くしてドロドロに伸びきったうどんを食べはるんです。しかも、残したものを『うまいぞ、お前食え』と鍋が回ってくる。伸びきってぐじゅぐじゅになった鍋焼きうどんなんて、涙が出ますよ」

 中華料理もよく食べたが、中華といってもチャーハンだけだった。

 東京・三田にある笹川記念会館の2階にある国際ホールで、企業の社長を招いて夕食を振る舞うときも、笹川は「今日は中華料理でいこ。チャーハンを用意してくれ」と言った。サントリーの佐治敬三氏が来てもチャーハン一品のみだったという。笹川氏にとって、チャーハンはハレの日のご馳走だったのだ。

 日本財団の関連施設である船の科学館に貴重な物を寄付した人を、笹川が食事に招待することもあった。当然、先方は豪華なもてなしを大いに期待することだろう。だが、その場合も船の科学館にあるレストランでチャーハン。側近の証言はこうだ。

「(笹川は)『どうです、見晴らしがいいでしょう。おい、チャーハンを差し上げて』ですからね、側にいる私の立場もないですよ。歴代の運輸大臣にもチャーハンだけでした」

資産53億円、借金37億円

 笹川の質素倹約は両親の影響が大きい。父・鶴吉は大きな造り酒屋を営んでいたが、高等小学校を卒業した息子を進学させずに、15歳から2年間寺に預けて厳しい修行をさせた。また鶴吉の死後、家を出て本格的に先物取引を開始する笹川に母・テルはこう言った。

「いっそう心して世のため人のために働くよう心がけなあきまへん」

 その言葉を守り続けた笹川は、質素な食生活を好む一方で、世界中のハンセン病患者の施設を慰問し、患者の手を握り励ましたのだ。また終戦直後は、東京裁判の戦犯家族を支援し、関係者からの感謝の手紙が3000通も残っている。

 だが、倹約家であり、福祉事業に熱心だった一面はマスコミに報じられてこなかった。笹川が亡くなったとき、毎日新聞はある文化人のこんなコメントを掲載している。

< 戦犯に問われながら、終戦後に米軍の慰安所を作ったりして「変わり身が早い人」という印象がある。各国に多額の寄付をしたが批判も多く、結局「リッチなファシスト」という評価を変えることができなかった。カネもうけがうまく、何でもカネで解決しようとしたところがあった。「カネがすべて」という戦後日本人の考え方を作った人ではないか >

 なぜ笹川は一度も有罪になったこともないのに、「カネに汚い」人物として書かれ続けたのだろうか。工藤氏はこう指摘する。

「今なら名誉毀損ですぐ訴えられるような記事を新聞や雑誌に書かれても、笹川氏は『書いている人にも女房や子供がいて、生活があるんだから』と一切提訴をしなかった。だから、いい加減な情報が野放しになったと思います」

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