あえて「失言辞任」に異論を唱える。なぜ新聞、テレビは自分たちが知っているはずの「鉢呂発言」の事実を報じないのか
本来、失言よりも問うべきは政策だ

鉢呂吉雄経済産業相が9月11日、失言で辞任した。2日に野田新内閣で就任にしたばかりなので、9日の在任期間だった。
昨年11月の柳田稔法相の国会軽視発言、今年7月の松本龍復興相の被災地での不適切発言に続いて、民主党政権になって失言による引責辞任は3回目だ。
その失言は、東京電力福島第1原発事故周辺を8日に視察した際の感想である。9日の記者会見で、感想を「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」と述べたことと、視察を終えた8日夜、取材記者に対して「放射能をつけたぞ」と述べたことと報道されている。
あらかじめ断っておくが、私は鉢呂氏を擁護するつもりは一切ない。鉢呂氏の政策についても、既存の原発の耐用年数を考えながら原発は基本的にゼロにするというのは現実的な話で評価するが、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の消極姿勢はいかがなものかと思う。ただ、今回の辞任が、政策失敗ではなく失言ということだけだと、かなり違和感を覚える。やはり政策議論をしてもらいたい。単なる揚げ足取りではこの国がどうなるのか心配だ。
鉢呂氏の発言は、政治家として脇が甘いが、辞任するまでの失言なのかとあえて言いたい。
各新聞によって違う「鉢呂発言」の中身
「死の町」という表現はたしかに被災地の人を失望させただろう。しかし、半年もたつのに、何も将来に対する展望を与えられない、この現実を放置しながら言葉尻だけを捕らえても仕方がない。本当に罪深いのは、人が住めない状況を放置しているのことなのだ。現状を厳しくみれば、一定地域には当分人が住めないのは認めざるを得ない。その場合、そこに至った原因追及とともに、これからどうするかという展望が必要だ。
野田総理は、鉢呂経産相が失言で辞任したことを受けて、「福島県民の心を傷つけ、深くお詫びいたします」と謝罪した。言葉で謝罪するだけでなく、きちんと展望を与えたなくてはいけない。そのために必要なのはおカネだ。
野田総理は財務省にいたときに教えてもらえなかっただろうが、かつては政府紙幣さえも省内で極秘に検討したことがある。少しの法律を変えれば、例えば10兆円政府紙幣を一枚作って、それを日銀に持ち込めば、それで政府は10兆円の財源が作れる。今のようなデフレならインフレになる心配もないし、むしろデフレ脱却にも役立つし、円高対策にもある。それを被災者に一時金として配布すれば、政策としてもまっとうな話だ。
私がもっと問題だと思っているのが、2番目の失言「放射能をつけたぞ」である。この発言をした事実が正しいなら、あまりに子供じみているし、経産相の資質を疑ってしまう。
場所は衆院議員赤坂宿舎で、8日夜の帰宅時に記者10名程度に取材された時の様子だという。9日午前の記者会見で「死の町」発言があって、この「放射能」発言もぶり返したこともあるようだ。
しかも、鉢呂氏自身は、「しぐさはあったかもしれない」が、「そういう発言はしていない」と否定的だ。
ネットの上で、検索すると、9日深夜から10日にかけて各紙で報道されているのがわかる。各紙のいいぶりと掲載時間は以下の通りだ。朝刊最終版に向けて、各社必死だったのだろう。
「放射能をうつしてやる」(産経新聞 9月9日 23時51分)
「放射能をうつしてやる」(共同通信 9月10日 00時07分)
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞 9月10日 01時30分)
「放射能をつけたぞ」(毎日新聞 9月10日 02時59分)
「ほら、放射能」(読売新聞 9月10日 03時03分)
「放射能をつけてやろうか」(日経新聞 9月10日 13時34分)
「放射能を分けてやるよ」(FNN 9月10日 15時05分)
面白いことに各紙でいいぶりが異なっている。
記者であれば、大臣の談話はオフレコであろうと、メモだけでなくボイスレコーダーで記録しているだろう。それにも関わらず、各紙でいいぶりが違っているのは不可解だ。話をおもしろ可笑しく膨らませた可能性はないだろうか。こんなあやふやの話で閣僚が辞任する必要があるのか。
なお、8日夜のものは「オフレコの非公式懇談」なので、その発言を問題視するのはおかしいという政治家もいる。しかし、10名も記者がいてオフレコはありえない。私も官邸にいるときには、こうした場面に何回も出くわしたが、政治家にはオフレコと思わないでと念をおした。本当のオフレコは二人だけの取材のときだ。記者が複数いたら、政治家の心つもりとしてオフレコと思うほうがおかしい。
記者も大臣が辞任するほど重要な発言ならオフレコでも書いてもいい。しかし、それなら正確に書かなければいけない。「放射能」記事では各紙ともに「~の趣旨」でという曖昧な表現が多い。10名前後も記者がいるのに、誰もボイスレコーダーをもっていないはずない。今ではスマートフォンにも標準装備されているくらいなのだから。誰かが正確な話の記録を出してもいいくらいだ。
こういう空気みたいなことで、オフレコ発言で閣僚が辞めさせられるなら、今後トラップをしかける輩もでかねない。どうせなら政策論議で閣僚をとっちめてもらいたいものだ。穿った見方かも知れないが、政策議論ができない記者ほど、こうした失言をあげつらうことを好む傾向がある。
まあ記者も言い分があるだろう。13日の国会開催を控えて、政治で盛り上がるのが見えているから、取り上げたと。たしかに、国会の会期が4日と短く、予算委員会もないので、野党から見れば、失言に飛びつく。多くの良識的な国会議員が言うように、原則として通年国会にしたらいいだろう。