佐々木俊尚が5人の若者に聞く『21世紀の生き方』第2回「ぼくたちはこうして会社を辞め、いまの生活をはじめました」
第1回はこちらをご覧ください。
佐々木: お話を聞いていると、皆さんサラリーマン経験があるわけですが、サラリーマンがいきなりいまのような働き方に変われるかどうかというのが大きな問題です。
今日のプロデュースをしている高木慎平さんは、博報堂に勤めていたわけですから年収1000万円くらいもらっていたんじゃないかと思います。それをなげうって破れたジーンズをはいてこんなところにいる(笑)。安藤さんも集英社にいらっしゃって、出版不況といえども日本を代表する大手出版社で高給をとっていたのが、いきなりそれを辞めて何をしているんだかわからない不思議な人たちの一人になっているわけです。

今度は、その状況の変化についてどうやって自分のなかで方向性を転換したかをうかがってみよう、と思います。たとえば、皆さんは大学を卒業してから会社員を経験していますが、就職した段階でどういう将来ビジョンを描いていたのか、一生会社にいるつもりでいたのか、辞めるつもりでいたのか、辞めるつもりだったとしたら、会社員でいる間にどういう展望を持とうとしたのか、というようなお話をうかがってみたいと思います。
では、また米田さんからお願いします。
「起業するから優秀」ではない
米田: 僕は1973年生まれでこのなかでは最年長だと思うんですが、出版業界で雑誌の編集者をやっていた。僕の場合は勤めていた出版社が潰れたので、やりたくてこういうことをやっているわけではないんです(笑)。ぶっちゃけて言うと、会社の社長が逮捕されたりとかいろいろグチャグチャな事情があって、これはもう、早く飛び出さなければいけないと思いまして。
佐々木: 最初は一生いるつもりだったんですか?
米田: 実は20代の頃はミュージシャンをやっていて、その傍ら時事通信の社会部でアシスタントをやっていたんです。90年代は今よりまだ景気が良くて手取りで25万円くらいもらえたので食えていたんです。しかし、このままで行ってもどうしようもないな、と思って映画のサウンドトラックを作ったりしていたのですが、28才くらいで一度就職しようかと思い、最初はアルバイトから入って、派遣社員を経て正社員になりました。
第一次就職氷河期の1995~1996年卒業組なので、悲喜こもごもの「悲」の部分もいちばん経験しているんですね。
僕の同世代というと、堀江貴文さんとか津田大介さん辺りなので、明暗がハッキリ分かれています。僕はもう底辺から上がってきて、本当は憧れとしてはカルチャー誌の編集者をやったり、40代くらいにはビジネス誌の編集者をやったりして、出版業界のなかでステップアップしていきたいと思っていたんです。
ところが、こういう時代になってしまって、出版不況が続き日本の経済が落ち込んでいくなかで会社が倒産してどうしようかというときに、「どうせ不安なんだから、だったら自分が選択肢を選んだことで不安になるほうがいいや」と思ったんです。所属している会社や団体に振り回されて不安になるよりも、自分でやってみてダメだったら諦めがつくだろう、と。
今までやったことがないことに対してそれをやらないという選択肢は、自分の人生のなかでは「ナシ」だな、と思い、じゃあフリーでやってみようかな、というのが出発点です。最初は本当に、半年間失業保険しか収入がないような時期もありました。僕もまったく営業しないで「これを書かないか」とか「こういう企画をやらないか」というお話があったら、とりあえず何でもできることをやりましたね。
失敗も経験していますし、僕は編集者でしたから、まさかこうやって人前でしゃべる仕事がくるとは思っていなかったんですが、いつの間にかこうやってベラベラとしゃべるようになってしまって、半分芸人みたいになっています(笑)。とにかく、資源というのは自分の身体しかないので、それを使ってできることを何でもやっています。
それと、スキルというのはいろいろな可能性がある。30代でも40代でも、もしかしたらいろいろなことができるかもしれません。あとは、インターネットのツールがいろいろ発達したことが大きいですね。僕が初めてネットに触れたのは1997年で、ウィンドウズ95が出た辺りです。もちろん自分でHTMLを組んでホームページを作っていましたし、フォトショップも使いましたし、Macが1台あればいろいろなことができるんです。デザインもできるし、文章も書けるし、ホームページもできます。

人間っていろいろなことができるんだな、ということが仕事をやりながらわかってきた。たとえばいろいろなクライアントに会うと、毎回初めての案件なんですよ。僕は編集者や物書きだったのに、イベントの企画をやって司会をしてくれ、なんて言われるんですね。
あとは、「こういう商品を考えていて出そうと思っているんだけれど、アドバイザリーやコンサルティングをしてくれないか」というようなことだったりとか、それはまったく自分も予想していなかったことです。
佐々木: そうすると、追い込まれてどんどん展開したということですか?
米田: そうですね。それと、ノマドもそうですけれど、明言化・言説化されていない、何だかモヤモヤしている部分に僕自身も興味があるし、世の中もそれに興味があるだろうと思います。それはリスキーではあるんですが、そこに行くと、どこかで世の中でつながる接続点があるんじゃないかという、本能的な直観がありますね。そこへ先に行っておくと、時代が後からついてくるということはあるんじゃないかな、と思います。
佐々木: 前に本に書いたんですが、「アクシデンタル・アントンプレナー」という言葉があって、「予期せぬ起業家」という意味なんですが、みんながみんな夢を持って起業するわけではなくて、リストラされたり会社が潰れたり、そういうふうに仕方なく起業家になる人もけっこう多い。
米田: そうですね。起業するから優秀というわけではない。みんなそうだと思うんですが、ある種そうせざるを得ないというか、自分のなかでそういう欲求があって、それに抗えない生き方というものがある。単に優秀だから起業ができるとか、逆に単に優秀だから会社員として成功できるということでもないと思います。
佐々木: 意外と追い込まれたほうがうまくいくということかな。米田さんを見ていると、昔はこういうふうにいろいろなところを転々とした人間が編集長になったものなんですよ。出版業界って新聞社やテレビ局とは違って、フリーの人が多くてオープンな社会なんです。意外と大手出版社の雑誌の編集長でも外部から来た人がやっていたりとか、あとはステップアップですね。
最初はエロ雑誌の編集者からスタートして、だんだん上がっていってビジネス誌が頂点にあるようなイメージで、「あれ、あの人今はあんな大きな雑誌に行ってるんだ」というような人もいたりします。有名編集者とか大物編集長のような人でも、昔はエロ雑誌をやっていたような人がたくさんいらっしゃる(笑)。
逆にいうと出版社がそういう人々をすくい上げる仕組みそのものを持たなくなってきて、しょうがなくなって他のところに出てきた、ということもあるんじゃないかと思うんです。今となってはそちらのほうが幸せだったんじゃないかと思いますね。
米田: そうですね。出版業界の同僚や後輩たちは、「よくそんなことができますね。僕は辞められませんよ」とか言いながら、ちょっとエロい雑誌をやらされたりとか、忸怩たる思いでやっているわけですよ。だけど、「やってみたらできるんじゃないの?」と僕は思います。実名で何かを発信していくことに対して会社員の人はすごく抵抗があるんだな、と思います。
3年くらい前にTwitterのことを会社員の方に話したら、「意味がわからない」と言われました。「そんなことをやっても自分の実績にならない。昇給にも関係ない」ということなんですが、これからはいろいろなプロジェクトを所属や組織に関係なく作っていかなければ、イノベーションも起こらないのじゃないかと思います。会社にじっとしている人って、多分アイディアなんか浮かばないですよね。
佐々木: そこに安住してしまうからダメなんでしょうね。Twitterをやらざるを得ないところまで追い込まれるかどうかということが大事だということですかね。