佐々木俊尚が5人の若者に迫る『21世紀の生き方』第3回「『日本は』『日本人は』なんて大きな主語の議論をやめて、個人をベースにものを考えよう」
第2回はこちらをご覧ください。
佐々木: いまは前よりも生活にかかるコストが劇的に下がっていますよね。日本社会というのは何が良いかというと、生活文化の質が高いとよく言われている。海外ではコンビニとかドラッグストアに行くと、たとえばお菓子がまずいとか、タオルを買っても良いタオルは高くて、ドラッグストアで100円で売っているようなタオルは一回で使い捨てになってしまう。
日本では、ユニクロとか無印良品にいろいろなものがあって、すごく安価に良い生活ができる。マンションでも今は賃貸で7万円とか8万円で借りれるところで、オートロックとかすごく立派な設備が整っていますよね。そういうふうに考えると、以前よりも生活にかかるコストは劇的に下がっていて、生活するための損益分岐点が前よりも下がっていると思います。

だったらそこで、あまりに高いところを目指さなくてもいい、という考え方も成り立つかもしれませんね。昔はもう、上を目指さないとあとはスラム街で生きるのみ、というような、そういう黒澤明の「天国と地獄」みたいな時代もあったわけですね。それに比べると、今回聞いているよな生き方を選ばれるというのは、今おっしゃったような「縦軸を横に倒す」というのはすごく「アリ」だなと思います。そういう部分が非常にノマド的に感じますね。
米田: 成功モデルが複数あるというか、今まで一方的に与えられてきた成功モデルって、個々人で設定条件が違うから全員が全員GREEの社長になれるわけではないのに、たとえば芸能人とか著名人、スポーツ選手、あとはモテる人とかにならないと成功者じゃない、みたいなのがあった。みんながみんなそうなれるわけがないのに、ずっとそういうモデルを与えられてきたわけですね。
とくに女性なんかは小さい頃からそれを女性誌で叩き込まれるわけじゃないですか。こういうふうなファッションをこういうふうなTPOでしなさいとか。そのモデルから一度降りてみるというか、設定条件が違うなかで、自分がいちばん心地よくて自分がいちばん幸福だと思えるスタイルがどういうことなのか、というのが、僕にとってはいちばん重要です。
佐々木: 多分昔は終身雇用の会社に就職して、安定したローリスク・ローリターンの生活を選ぶか、そうでなければ大企業の経営者を目指してアメリカンドリームを狙うというような、2種類のモデルしかなかったんですよね。今はそのどちらでもなく、ある程度の満足感を得られるような人生観が選択できるようになっていると思いますね。
大石: それで一時期起業という夢があったんですが、堀江さんの事件以降、そういう夢がしぼんでしまった。起業でリッチになれるという夢がまだあれば、多分みんなまだどんどんやっていると思うんですが、そこがしぼんできたと思います。
佐々木: 彼がああいうふうになったことで、ベンチャーを目指す日本の若者が減ったというふうにお考えですか?
大石: 減ったというか、ストーリーとして目指すべき目標としての魅力度が減ってきたな、と思います。今までは、何かをやる場合に目指すべき模範的なストーリーのようなものがあって、どの時点でどれに乗るかという話だったと思うんですが、今はそれが全部潰れてきたということがあると思います。
まだあるとすれば、アジアとか他の地域に進出して起業している人たちがいらっしゃって、そういう新しい市場で新しいチャレンジをするのは全然アリだと思いますから、それが別のストーリーとして出てきていると思います。
時代の先端を探る疾走感が欲しい
安藤: 今のお話をうかがって、なるほどな、と思ったんですが、最近成功モデルって何だろうとよく考えていて、ちょっと思い出した話があるんですが、先週ある出版社で新しい働き方について企業講演をさせていただいたんですね。そこで編集者の方から講演後に、「今はビジネス書をはじめ本が売れなくなっている、その原因はどこにあると思いますか?」と質問があったんですよ。

そのときに思い出したのは佐々木さんと以前お話させていただいたときの言葉なんですが、グルーブ感とか疾走感のようなものが今の本には足りないのではないかな、とお答えしました。今までの成功というのは、目に見える報酬とか出世のようなもので、その二つから得られる安定というのがある種の成功モデルの一つだったと思うんです。
でも、私たちはこの正解のない先の見えない混迷の時代のなかを走り続けていかなければならないわけです。自分たちの向かっている先がどうなるかわからなくても、でも一歩進んでいくという、そういう「動いている」イメージというのが、今の本や著者の方からは感じられないということがあるんじゃないかな、と思います。
佐々木: その原因はわかりやすいですよ。年寄りが作っているからですね(笑)。
米田: 紙の本というのは、ブログみたいにずっと可変的で生命のように変化し続けるものじゃなくて、流れを止めてその時々に結論を出さなければならないじゃないですか。それでエイヤッと結論を出してしまったときには、実は自分の意識はもっと先に進んでいたりとか、そのテーマに対してはちょっと飽きていたりとか、時代のほうがちょっと先に進んでしまったりというようなこともありますね。
逆に言うと、そこで一回止めてエイヤッと出してしまうことも大切なことなんですが、なかなかグルーブ感を持ちながら本のなかのストーリーが現実とリンクして新鮮度が保たれたままリリースされるかというところが、なかなか難しいところだと思うんですね。
佐々木: 時代の変化がものすごく早いというか、テクノロジーがこれほどドライブしている時代もあんまりないわけで、そういう意味でいうとついていくのは大変なんですよ。最先端を走っている人にとっては、自分以外に誰もいないというような、グルーブ感が足りないという環境になるのは当然しょうがないんじゃないかと思いますね。
安藤: もちろん私も出版社にいましたから、投資というのはボランティアではないというのは重々承知のうえで、でも私たち20、30代の人たちって、果たしてすでに名前が全国的に知られているような成功者の成功物語なんて聞きたいのかなというのがある。なぜ私たちが佐々木さんの元に集まってきたかというと、答えをみんなで見つけていこうという疾走感だと思うんです。
米田: 「情熱大陸」みたいなドキュメンタリーって、僕は意外とこれからは厳しいんじゃないかと思っていて、個人の裏面をひっぺがしてもそんなに秘密はないんじゃないか、みんな生身の人間が必死に努力しているだけで、そんなに変わらないよ、みたいなことが暴かれるだけでしょうね。
佐々木: 社会の構造を知りたいというのもあるんだろうけどね。
米田: そうですね、個人というよりもっとマクロなことは知りたいと思うんですけどね。
佐々木: では、phaさんに行きましょう。事務員をやっているときに、将来の展望をどう考えておられたのか。
pha: いや、とくになかったですね(笑)。本当にやることが何も思いつかなかったから、という感じで、もう死ななければいいや、と。

佐々木: じゃあ、死ななければいいという状態が維持できるという自信はあったんですか? しばらく前に派遣村のようなことが話題になったり、就活に失敗するともうフリーターやニートみたいになって、最後はホームレスになって飢え死にするんじゃないか、と感じている人はいっぱいいるわけですよね。だから、そこそこ生きていくっていうのも実はけっこう難しいという感覚もあるんじゃないですかね。
pha: 僕が仕事で入ったのは、それなりに安定している職業で、あまり仕事はできなかったですが、適当にやっていればクビにはならなかったし、このあと何十年も働くことができるんだろうな、というところではあったんですが、別に何十年もいようと思ったわけではなくて、他にやることもないし生きていく道も見つからないからやるか、という感じで3年くらい我慢して働きました。
佐々木: そこを辞めたのは、何か引き金となることがあったんですか?
pha: それはインターネットですね。ネットがあれば、まあ死ぬことはないな、と(笑)。
玉置: 私はphaさんが第8大陸の最先端を走っていると思っていて、さっきから仕事がどうとかいう話はあるんですが、そういうのではなくて今は「どう生きたいのか」という時代だと思います。
佐々木: 働くことが生きることであるというか、生きることが働くことだという感覚なのかな。
玉置: そうですね。それとか自給自足とかしちゃったらあとは自由にできるわけだし、90年代に雨宮処凛さんが「生きさせろ運動」みたいなことをしていたじゃないですか、非正規社員のようなプレカリアート問題で。むしろ働くのをやめて自給自足してそこでPCとかで表現活動をすればいいわけで第8大陸の住民て旧来の働き方に対して叛乱を起こしているように思うんです。「歌うことだって働いていることだろう」みたいな感じに私たちはもうなっていると思います。
佐々木: 昔だったら、プロのミュージシャンでもない人が歌っていても、「それは仕事じゃなくて単なる趣味だろう」という感覚だったのが、今はたとえば歌を歌って動画をYoutubeにアップして、それを何千人かの人が見てくれて、そこにアドセンスを貼ればちょっとでもお金が入ってくるということもあり得るわけで、iTune'sに売ればそこそこ売れるかもしれないという状況ですね。