連帯責任とケツバット

元バレーボール全日本代表の大林素子さんも、八王子実践高校時代に厳しい寮生活を体験している。
「八王子実践の寮では、1年生は朝4時45分起床で、『おかっぽ』というその日の食事当番が3日に1度回ってくる。プレハブの寮には水道もなくて、学校の家庭科室の台所で食事を作らされるんですが、みんな親元を離れたばかりでろくに調理もできない。キャベツを30人分千切りにするのに、1時間半かかって泣いている子もいました。
掃除・洗濯なども1年生の仕事なので、寒い冬の朝の洗濯なんかは、水の冷たさで毎日手が切れそうで、練習よりきつかった。当時は当たり前だと思っていたけど、今思えばよくやっていたなと思います」
女子ならではの恨みつらみも、今は打ち明けられる。
「トレーナーなんていないから、先輩のマッサージも1年生の仕事です。『いいよ』と言われるまで次の場所に移れないので、先輩が寝ちゃったり、意地悪して黙っていると、1時間以上ずっと同じところを揉まされることもありました。
そのときばかりは、先輩大嫌い、監督大嫌い、体育館の照明が壊れればいいのに、って思いました。でも、最終的には勝つという目標をチームが共有していた。それがあったから、何とかやめずに済んだんです」
大林さんや松尾氏のように、苦しみの末に勝利と名声を手にした人たちはまだいい。だが、傍目には忌々しいとしか思えない体験談を、まるで恋人と過ごした思い出のごとく語るのは、一流選手だけではない。ひたすら泥水をすするような毎日を送った、ごく普通の元・体育会系たちも同様だ。
明治大学ラグビー部員だった銀行マンが、かつてのチームの不条理を明かす。
「用具の整備などで一人がミスをすると、連帯責任で1・2年生全員が〝絞り〟という追加練習。走りこみ、タックルなどを3時間延々やって、終わったら、拳骨が飛んでくる反省会です。
部の合宿所でも、1年の時は気の休まる暇がなかった。上級生から『おーい』と呼ばれると、飛んで行かないといけない。許されるのは『おーい』2回までで、3回続くと〝絞り〟です。必死で駆けつけたら『テレビのチャンネルを替えてくれ』なんて言われたこともありました。ちょっと手を伸ばせば届くのに(笑)」
現在とは違って、どんなに暑い日の練習でも、水分補給などさせてもらえないのが当たり前だった。