2012.02.10

栴檀は双葉より芳し?監督たちに聞く
少年野球時代 彼らはすでに天才だったのか

ダルビッシュ 田中将大 中村剛也 坂本勇人 松田宣浩ほか

 いくら自分が圧倒的な力を持っていても、野球は9人でやるものだということを、彼は中学生ですでに理解していたんです」

 全羽曳野では、レギュラーと控えで練習メニューを分けず、すべての選手が平等に扱われる。ボーイズリーグ随一と言われる厳しい練習をともにこなした経験は、エリートを孤立させることなく、ダルビッシュに最も大切な能力を与えた。

 中学時代の同級生は、当時をこのように回想する。

「中1くらいまで有は補欠だったんですよ。練習もみんなと同じように嫌いでしたしね。普段は天然キャラで、学校の成績もそんなに良くなかった。どちらかと言うと不真面目(笑)。でも全羽曳野の仲間が本当に好きだった。だから野球だけは辞めなかったんです」

 中3で才能が開花した背景には、野球仲間の輪にいたいという思いがあった。学校で「外国人」扱いされることを嫌がったダルビッシュにとって、河川敷のグラウンドは、居心地のいい場所だった。テキサスの入団会見で「羽曳野で育った野球少年」と語ったことに、その感謝が溢れている。

栗山と坂口の場合

 少年時代、仲間との出会いが才能開花のきっかけとなるように、ライバルは成長を促す刺激材料だ。

 その好例が楽天の田中将大(23歳)と巨人の坂本勇人(23歳)の関係だ。二人は小学校時代、「昆陽里タイガース」という少年野球チームのチームメイトだった。坂本がピッチャー、田中がキャッチャーとしてバッテリーを組んでいたことはよく知られている。

 二人を指導した昆陽里タイガースの山崎三孝氏が当時を回想して言う。

「田中の野球の才能はAクラスでしたが、私は坂本にそれ以上の才能を感じましたね。足が早いし、内野守備が抜群にうまい。ショートを守ると三遊間の深いゴロにも追いつき、強肩で一塁アウトにしてしまう。相手チームからは『あそこに打ったらヒット1本損する』と恐れられていました」

 野球センスでは坂本に一歩遅れを取っていた田中だったが、中学に入ると急速に力をつけてきた。

「田中をすごいと思ったのは中学2年のとき。チームの新春会に参加したOBが田中の球を受けたんですが、高校まで野球をやっていたそのOBが、田中の投げるスライダーをまったく捕れない。それほどすごい球を投げていた」(山崎氏)

 坂本と田中は、文字通り切磋琢磨し合うライバル同士だった。遠投ではお互い自分が勝つまで際限なく競い合い、バッティングでは一方がホームランを打つと、一方はムキになって大振りし、しばしば三振した。

「特に坂本は負けん気が強い。小6のとき、足の速い彼にスイッチヒッターに挑戦させたんですが、すぐにやめてしまった。どうしても左より右の方が打球が飛ぶので、田中に飛距離で負けたくないがために右打ちに専念したんです」

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