2012.03.21

堤堯 第3回「いよいよ話題は救国の政治家・鈴木貫太郎へ・・・でも、その前に賭けゴルフの名勝負を一席」

島地 勝彦 プロフィール

立木 自分で作っておいて、しゃあしゃあと「名著」っていうあたりがシマジらしいよね。

シマジ でもあれは昭和の歴史の定説をひっくり返した新しい発見の書です。

瀬尾 あの本のなかで堤さんは、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂を「昭和の三傑」と位置づけていますね。

 おれが文藝春秋に入社したてのころ、新宿のバーで、歴史に詳しいこと社内随一と評判の先輩Hさんに訊いたことがある。

「Hさん、鈴木貫太郎をどう思いますか」

「貫太郎? ああ、あの耳の遠い老いぼれか。あいつが愚図々々してるから、ヒロシマ・ナガサキ、ソ連の侵略を招いたんだよ」

「そうですかね。貫太郎がいなきゃ北海道はソ連に取られていますよ」

「どうかね。とにかくどうしようもない耄碌爺ィだよ。あいつは」

 とニベもない。Hさんに限らず、当時は鈴木貫太郎愚図説が常識だった。1945年4月、すでに戦局は絶望的だ。天皇から組閣の大命を受けたとき、貫太郎は「わたしは一介の武弁。78歳の老いぼれで、このとおり耳も遠くなっておりますし、その儀は余人に」と固辞し続ける。その貫太郎に昭和天皇は言う。

「耳が遠くてもかまわん。卿のほかに人はいない。どうか受けてくれ」

 天皇が涙ながらの懇願だ。結果、貫太郎は大命を受けざるを得ない。昭和天皇にとって貫太郎は、「父」とも頼む存在だった。夫人の「たかさん」は昭和天皇の養育係だった。「たかはどうしている? あれは朕の母親のようなものだ」などという天皇の言葉が記録に残っている。脳を病む大正天皇に代わって、まさに貫太郎は「父親」代わりで、永く侍従長をつとめた。だからこそ二・二六事件のおり、貫太郎が瀕死の重傷を負ったと聞いた天皇は激怒する。「朕が股肱の臣を殺傷する。朕の首を真綿で締めるがごとき、なんの如すべきものあらんや」とはそれをいうんだ。

 あのとき貫太郎の襲撃に向かったのは安藤輝三大尉だ。身に4発の銃弾を浴びて、貫太郎は血の海に倒れ伏す。「安藤大尉、トドメを!」と部下が叫ぶ。そのとき夫人のたか女が身を投げて庇い「武士の情け、トドメだけは」と安藤に懇願する。それを受けて「トドメの要なし!」と安藤は引き上げを命じる。そのとき九死に一生を得た貫太郎が、後年、日本の国を救うことになる。まさに歴史の運命的なドラマだね。

シマジ 本当に運命的ですね。たしか鈴木貫太郎は幕末の生まれですよね。幕末生まれの男が昭和の時代に救国の人になったというのはドラマティックだ。

 貫太郎の息子の一(はじめ)さんに聞いた話だけど、大命を受けた夜、帰宅した貫太郎が「オレはバドリオになる」とボソッと洩らすんだ。バドリオとは何か。日独伊の三国同盟で英米仏らと戦った。そのうちイタリア首相バドリオが真っ先に降伏して、日本では「裏切り者」呼ばわりされていた。「オレは裏切り者呼ばわりされても、この戦争を終結させる」という決意のほどを息子さんに洩らしたんだね。それが天皇の願いでもあったわけよ。もう日本はにっちもさっちもいかない。未曾有の国難だ。もう「父親」とも頼む貫太郎しか、他に頼る者がいない。さあ、ここから二人、呼吸を合わせて終戦の大業が始まるわけだ。

 首相に就いた貫太郎はラジオで「わが屍を踏み越えていけ!」と国民に徹底抗戦を呼びかける。これは芝居だ。下手に和平を匂わせれば、陸軍の血気の少壮将校らが倒閣の動きに出る。陸相に辞表を出させれば、内閣は瓦解だ。組閣に手間取るうちに、ソ連をはじめ諸国が押し寄せ、日本は四分五裂、分断国家になる。東西に分断されたドイツや、その後の朝鮮半島の始末を見てくれ。少壮将校をうまく騙して御しながら、あくまで国を束ねて終戦工作を進めなきゃならない。薄氷を渡るにも似た作業だ。