2012.05.16

磯田道史 第2回 「自由競争にからきし弱い日本人には、目標となる坂の上の白い雲が必要だ」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ 俸禄の削減は武士にとって厳しかったでしょうね。

磯田 そうです。武士は領地から切り離されていて城下町に住んでいる。しかも江戸時代は戦争がない。登城は月の3の日とか5の日だけでいい。1ヶ月20日以上家にいるわけですから暇があった。だから勉強も出来て教養も身についたのでしょう。子供のころから四書五経は習っているので、漢籍などはお茶の子さいさいで読めたんです。でも年中貧乏だったのです。

シマジ いま諸悪の根源はテレビでしょうね。あれはまさしく時間泥棒です。100時間テレビを観るより、一冊のどんなくだらない本でも読むほうが人間を利口にしますよね。

磯田 その通りですね。テレビは受け身ですが、読書はこの本を読みたいという意志をともなった能動態です。

シマジ 武士は誰に借金をしたんですか。

磯田 それは商人です。でも武士の借金の利率は武士プレミアムがついて厳しく、15%から18%だったようです。

シマジ どうしてですか。

磯田 武士階級には担保がないのと刀をぶら下げていたからです。貸した商人はなかなか催促出来なかったのでしょう。

シマジ なるほど。催促すると刀で脅されるんですね

磯田 そうです。第一、武士は刀から土地、住む家まで、すべて殿様からのレンタルだったのですから。お侍さんはただ誇りだけを持っていた集団でした。しかも日本家屋はすぐ傷みます。その修繕費は自己負担ですから、武士は自然と貧乏になってしまったんです。

シマジ 侍はお金を借りるのも苦労したそうですね。

磯田 武士には借金を棒引きされる徳政令が出ますから、商人はヒヤヒヤしながら武士にお金を貸していたのでしょう。藩主も大商人に借金していましたが、こちらの利率は5%くらいでした。

シマジ またどうしてですか。

磯田 それは権力という担保があったからでしょう。広大な領地もお城も担保になったんです。日本の武士よりも朝鮮のヤンバンのほうが金持ちだったんです。ヤンバンは地主も兼ねていましたから、豊かだったんです。科挙さえ通れば一生寝て暮らせたものらしいです。