2012.05.16

磯田道史 第2回 「自由競争にからきし弱い日本人には、目標となる坂の上の白い雲が必要だ」

島地 勝彦 プロフィール

 そのように職業の分担がはっきりしていた。それに江戸時代は職業がいまより細分化されていて分業化していた。たとえば蒔絵1つ取っても蒔絵の漆を塗る人。その漆を採集するして作る人。金粉を作る人。蒔絵を描く画家が使う捻れ筆を作る人。これは前回お話しましたとおり、琵琶湖を走る穀物船に巣くうネズミの脇の下の毛が使われるんですが、そのネズミを捕る人などなど、見事に分業化していました。

 だから江戸時代の人口は約3千万人だったのですが、生き甲斐という点からみれば、いま以上に幸せだったと思いますね。

シマジ わかるような気がします。決して文明の発達が人間を幸せにはしないということですね。山手線は便利だけど不幸にして生きる自信を失った人が、そこに飛び込んでしまうんですからね。持ち場という言葉は重要なことです。国民のすべてに持ち場を与えれば坂の上に白い雲が浮かぶかもしれません。

磯田 江戸時代は1人ひとりが持ち場にいて、その道を進めば、ちゃんとまともな生活が出来、人生を幸せに謳歌出来ることが保証されていたんです。いま一流大学を卒業しても、適切な持ち場を作れる人はひと握りの人でしょう。たとえば将来医者になれる学生は持ち場が決まっていますが、とくに文化系の学生は迷っていますよね。

シマジ たしかにおれは運良く編集者になれたけど、なかなか適材適所に就職するのは難しいことですよね。

磯田 日本人は、「君はこれだよ、ここを頑張ってくれ」と言われるとトコトン頑張る種族なんです。が、何をやってもいいという自由競争にはからっきし弱い。

だから坂の上の雲がみえるときは目標はみえていますから頑張れるのですが、いまのように世の中が暗く目標の雲さえみえない時代は大変なんです。いまの日本人はまるで坂の下の泥沼で転げまわっている感じです。

シマジ 政府が希望に満ちた輝ける雲を提示することが本当のいい政治なのでしょうね。

磯田 明治維新のころは列強に植民地化されないために国民一丸となって頑張ったんです。司馬遼太郎が言うように、坂の上にポッカリ白い雲が浮いていたんです。

シマジ また、明治維新の変わり身の速さはすごいですね。

磯田 江戸時代の燃料はマキと炭でした。ところが化石燃料が入ってくると、すぐ受け入れてしまった。文明開化がはじまるんです。蒸気機関車もすぐに受け入れた。この間までイギリスとケンカしていたのに、武士だった明治の官僚がロンドンに留学して鉄道を学んでくるんですからね。日本人は便利なものはいいものだと確信して吸収していったのでしょう。