2012.06.29

二宮清純レポート
三浦大輔 38歳・横浜DeNAベイスターズ
男はいかにして「成りあがる」べきか

週刊現代 プロフィール

 2段モーションを修正した三浦の次なる試練はFA権を行使した'08年のオフに訪れた。古巣と再契約するか、子供の頃からファンであった阪神に移籍するかで心が揺れた。

 眠れない日々が続いた。出るべきか、残るべきか。どちらの道が正しくて、どちらが正しくないのか。考えれば考えるほど悩みは深まり、食欲も減った。

 横浜との再契約を決めたのはFA宣言から約2週間後だった。

「阪神には愛着がありました。野球人生の最後の方は生まれ故郷の近くで野球をやるのが親孝行だと思っていたし、何より僕自身、子供の頃は甲子園で六甲おろしを歌っていたくらいですから。

 その一方で横浜にも恩義を感じていた。僕を育ててくれた球団やし、'98年の優勝は僕の野球人生で最大の思い出です。だから最後は自分に問うたんです。〝オマエは何がしたいんや?〟と。

 考えてみれば僕は〝強いところには負けたくない〟という一心で野球をやってきた。高田商を選んだのもそうです。〝天理には負けへん〟と。プロに入ってからも巨人や阪神を倒して優勝したいとずっと思ってきた。それが自分の原点や、と確認できた時に進むべき道が見えたという感じでした」

 球団の身売りも2度経験した。多くの先輩や後輩がチームの体質に愛想を尽かし、横浜を去っていった。

 今では'98年の優勝時の主力メンバーはDeNAにおいては三浦ひとりだけだ。生え抜きとしてチームに対する思いは誰よりも強い。

「ウチは昨季まで4年連続最下位ですが、チームは着実に変わってきています。僕は今、選手会の副会長で会長の新沼慎二をサポートする立場ですが、球団との話し合いの中身も濃くなってきています。そんな中で若手がもっと育ってきてくれるとうれしいのですが・・・・・・」

矢沢永吉に憧れて

 中日の守りの要とも言える谷繁元信は、横浜時代、10年間にわたって〝年上女房〟として三浦を支えてきた。「最初の頃は怒られてばかりでした」と三浦は頭をかく。

「途中からですね、谷繁さんのリードの意図がわかるようになってきたのは。最初は〝エッ、何でそれ行くの?〟という感じだったんですが、経験を積むに従って〝あっ、次はこっちか〟と呼吸が合うようになってきた。気が付くと勝てるようになっていました」

 その谷繁は3つ年下の後輩を、どう見ているのか。

「まさか(エースナンバーの)18番を背負うピッチャーになるとは思わなかった。性格は負けず嫌いで研究熱心。ただ若い時はちょっと臆病なところもあって〝もっと大胆にいけよ!〟と怒ったこともありますよ。

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