2012.08.13
# 雑誌

稲川淳二 独占告白「私が愛する息子に死んでほしいと願った日々」

週刊現代 プロフィール

 手術日が近づいてくると、

「手術中に死んでくれたらいいな」

 と思うようになった。雪の降る中、ロケに行ったとき、今もしあいつがこの雪の中に落っこちたら死んじゃうんだろうな、ずっと泣き声が聞こえるのかな、楽に死ねる方法ないかなと考えてしまうんですよ。

 普通、手術するっていったら助かることを願うんだけど、私は反対だった。死んでくれたほうがいいのかもしれない、とどっかで思っていたんです。

 手術する前、病室で自分の子供を見たときに、殺そうと思ったんですよ。こいつはとっても欲しくて生まれた子供だけど、こういう病気で生まれちゃったから、結構苦労するだろうなと。もしも私が先に逝って、こいつが生き残ったとき、誰が面倒を見てくれるんだろう。女房も長男も大変だろうな。みんなに邪魔者扱いされてしまうのかな。他人がこの子の面倒を見てくれるのかなと段々不安になってきて、初めからいなかったことにしたらいいと思いついた。じゃあ今、私がこいつの鼻をつまんで窒息させればいい・・・・・・。

 

 周りを見たら、病室には誰もいない。私ね、スーッと手を伸ばしたんですよ。鼻まであとわずか1cmのところまで手が伸びたんだけど、ブルブルブルブル震えてできないんです。そのうち、「やめておけよ」っていう声が聞こえたような気がして、ふーっと手をどかしたら、女房が部屋に入ってきたんですね。

親になってわかったこと

 それでも手術で死ぬかもしれないと、まだいやらしいことを考えてるんです。手術は朝の8時から夜の8時までかかりました。手術を終えて、エレベーターから次男が出てきた。ベッドの周りは檻のような柵がついてて、医療器具なんかがぶらさがってる。次男は頭にぐるぐる包帯を巻かれて、体には何本も管が刺さってました。こいつが、ハァハァと息をしてるんですよ。小さな体で、一生懸命に病気と闘ってるんです。それを見て、「私はなんて奴だ」と思ってね。私はもう最低だと思ったんですよね。

 長男がいてとても幸せだったから、もう一人いたら、もっと幸せになると考えてつくった。ところがそれは失敗だったと思った。自分の都合でこいつを殺そうと思った。考えてみたら、子供に罪はないし、こいつの名前を一度も呼んでない。何度も次男の名前を叫んで言いました。

「俺はお前の父ちゃんだぞっ」

 てね。

*

 怪談で鍛えた話術で、稲川氏はわが子への懺悔と思いを熱く語りつづけた。

 障害者の介助者の経験があり、障害者解放運動を取材してきた私は、稲川氏同様、自分の子供を殺めようとした親たちの話を、幾度となく聞いた。無理心中を何度も考えたという親もいた。思いとどまることができたのは、ある親は自制心であり、ある親は支援者とのつながりであった。

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