[パラリンピック]
三木拓也(車いすテニス)「金メダリストに導かれたロンドンへの挑戦」

一プレーヤーの前に、一人間であれ
ロンドンまでは残り2年。のんびりしている時間は、全くなかった。すぐにカリキュラムに沿ったトレーニングが始まった。ところが、いつまで経っても丸山からの指導はなかった。丸山から言われることと言えば、挨拶や礼儀のことばかり。丸山の指導を受けさせてもらえるものだとばかり思って、意気揚々と千葉に行ったであろう三木に、不満や焦りはなかったのか。
「入った当初は『自分は声をかけてもらってここにいるんだし』という甘えた気持ちがあって、当然、丸山コーチに指導してもらえると思っていたところはありましたね。だから、なかなか教えてもらえないことに、正直自分の中で迷いみたいなのが生じていました」。三木の潜在能力に期待を寄せていた丸山もまた、早く自分の手で指導することを望んでいたという。では、なぜ……。そこには丸山の確固たる信念があった。
「周りから応援されるプレーヤーにならなければ、世界の頂にたどり着くことなどできません。最後は技術ではなく、周りにいる人達を『この人を応援したい』という気持ちにさせたうえで、支持してもらえるかなんですよ。だから私は、まずは人間性の部分でそのレベルに達しなければ、本気で関わっていくことはしません。彼としてみたら『誘ってきたのに、全然見てくれないじゃないか』という気持ちは、おそらくどこかにあったと思います。そこを自分で乗り越えて、成長するようでなければ、世界を狙うなんて無理です。ですから、どれくらいのラーニングスピードで上がってきてくれるかな、と思いながら見ていました。彼のテニスには期待していましたし、早く一緒にテニスがしたいという気持ちはありました。ですから、私自身も我慢の日々だったんです」
昨年、最後の書き込みとなった12月28日の三木のブログには、次のようなことが書かれている。
<丸山コーチには、テニスに向かう姿勢のほか、人として当たり前の礼儀など、コートの外でのことに関してもいろいろ教えてもらいました。心に響く一発をもらったこともありました。>
“心に響く一発”とは、いったい何があったのか――。
「半年前くらいだったかな。その日、僕は斎田悟司さんの練習相手をさせてもらっていました。でも、自分の思うようなプレーができなくて、ちょっと投げやりな態度をとってしまったんです。世界トップ10の斎田さんと練習させてもらっているというだけで、感謝しなければいけない立場だったのに……。練習後もできなかったことを引きずってしまって、丸山コーチから『ごくろうさん』って声をかけてもらったのに、背中を向けたまま『ありがとうございます』とボソボソッと言ってしまったんです。そしたら、次の瞬間、後ろからガツーンと叩かれました。でも、痛かったのは頭よりも、ここでしたね」
そう言って、三木は胸に手を当てた。「いろいろと教えてもらってきたこの1年、自分はいったい何をやってきたんだろう……」。よほど三木にはこたえたのだろう。彼の態度に変化が生じたのは、それからだった。それは丸山にもはっきりと見えていた。
「彼はその一件以来、すごく謙虚になりましたね。練習態度から変わりました。それがテニスにもいい影響を与えていると思います」。ようやく丸山から直接指導を受け始めたのは、それからしばらく経ってからのことだった。三木はまた一つ、大きな壁を乗り越えた。