2012.08.22

[パラリンピック]
三木拓也(車いすテニス)「金メダリストに導かれたロンドンへの挑戦」

スポーツコミュニケーションズ

尊敬する国枝は“憧れ”から“目標”へ

 三木が丸山コーチと同じように尊敬してやまないのが、国枝である。丸山によって、その才能を開花させた国枝は、06年に初めて世界ランキング1位を獲得すると、翌年には車いすテニス界では史上初のグランドスラムを達成。4年前の北京パラリンピックでは男子シングルスで悲願の金メダルに輝いた、いわば世界が認めるトッププレーヤーである。その国枝を初めて見たのは、1年間の闘病生活の最中だった。

 小学生からテニスに夢中だった三木は、将来もテニスに関わりたいと、トレーナーへの夢を抱いていた。だが、高校3年の秋、骨肉腫という足のガンが発見され、その夢は断たれた。苦しい抗がん剤治療を受けた後、手術で腫瘍を切除、人工関節が入った左足は、思うようには動かなくなっていた。「もうテニスはできない…」。生きる目標を失ったまま、悶々とした日々が続いた。

 そんなある日、三木は「車いすテニス」の存在を知った。すぐにインターネットで調べてみると、一人のプレーヤーの名が目に留まった。「国枝慎吾」。脊髄腫瘍で車いす生活を余儀なくされた彼は、小学6年から車いすテニスを始め、今や「向かうところ敵なし」とばかりにずば抜けた成績を挙げ、世界の頂点に君臨していた。

「車いすテニスを知った時には、もうすがるような思いでした。『また、テニスができるんだ』と嬉しさがこみ上げてきました。とはいえ、あくまでも車いすですから、健常の時のテニスとは、全く違うものなんだろうなと思っていたんです。ところが、北京の決勝のビデオを観たら、もう走って走って、打って、走って……とすごいプレーをしている国枝さんがいました。そのスピードも激しさも、想像していたものよりはるかに上をいっていた。『うわぁ、オレもこれ、やってみたいな』と思いましたね」

 その国枝とは、一度対戦したことがある。昨年4月の神戸オープン。1年前、国枝に声をかけられた大会だ。練習では対戦したことはあるものの、公式戦では初顔合わせ。しかも優勝がかかった決勝での対戦に、三木は興奮を抑えきれなかった。
「1年前は雲の上の存在だった国枝さんとやれるんだと思ったら、嬉しさがこみあげてきたんです」

 コートに入ると、そこにはいつもと違うオーラを放つ国枝がいた。練習では見せたことのない、闘争心をむき出しにしたその姿は、まさに戦いの場に挑むアスリートだった。ところが、三木には勝利への執念が湧いてはいなかった。あったのは、この場にいることへの満足感だった。
「本来は、誰が相手だろうと、コートに立ったら対等の立場で戦いに挑まなければならないのですが、その時の僕は国枝さんを尊敬するあまり、嬉しさでいっぱいになってしまったんです。エースを決められても、『次は絶対に返してやろう』ではなく、『うわ、やっぱりすごいな』という気持ちでいたんです」

 国枝の凄みにのまれたこともあり、完全に浮き足立ってしまった三木は第1セット、1ゲームも取ることができなかった。さすがの三木も「これではダメだ」と思い直した。第2セットに入る前、これまで書き綴ってきた「テニスノート」を読み返すと、徐々に闘争本能が呼び覚まされた。
「これまで練習してきたのは、試合に勝つためじゃないか、ということを思い出したんです。そのためには、とにかく積極的にいかないとダメだと。国枝さんと試合をしていることに喜ぶのではなく、どうすれば国枝さんからポイントを取れるか。そのことを考えて、第2セットに臨みました」

 第1セットとはまるで違う動きを見せた三木は、しっかりと自分のゲームをキープし、2-2と競り合った。しかし、世界の舞台を数多く経験している国枝は、三木のプレーを見て、すぐに修正してきたのだろう。その後は、再び国枝の独壇場となり、結局、第2セットも2-6で落とし、三木は完敗を喫した。改めて世界との差を感じた一戦となったが、試合後の三木はネガティブな気持ちにはなっていなかった。
「スコアとしては離されてしまったんですけど、内容としては悪くなかったんです。ゲームが進むにつれて、ラリーの数も増えていきましたし、ところどころ、しっかりとポイントを取れた場面もありました。あの時持っているものは出し切れたと思うし、まだまだこれからだなという感じでしたね」

 それからは一度も公式戦で対戦していない。いつの日かの再戦、三木はどう戦うのだろうか。
「次こそは、勝負します。車いすテニスプレイヤーである以上、やはり目標は世界一である国枝さんを乗り越えていくことですから。次に同じコートに立ったら、今度は尊敬とか憧れの存在ではなく、対戦相手としてそれまで自分が積み上げてきたものを、全てぶつけ、勝ちにいきます」

 とはいえ、国枝への尊敬の念は昔も今も変わってはいない。三木は遠征時、特に勝負どころとなる大会では、北京パラリンピック決勝の映像を観ることがある。病室で初めて国枝のプレーを観たあの日と同じ興奮を味わい、そして自らを鼓舞するのだという。「多分、今回の遠征でも観ると思います」。3月5日から、三木は約1カ月に及ぶ遠征に出ている。遠征前のインタビュー時、三木はそう言って少し恥ずかしそうに笑った。

 ロンドンパラリンピックの日本代表は、5月に福岡・飯塚で行なわれるジャパンオープンまでのポイントによるランキングで決まる。北京同様、国内上位4人に切符が与えられると見られており、5番目に位置する三木にとっては今回の遠征はまさに正念場とも言える。それだけに、これまで経験したことのないプレッシャーに追い込まれることは想像に難くない。その時、きっと自分の目標を再認識したくなる、三木はそう思ったのだろう。

 国枝が金メダルを獲った瞬間は、いつ観ても鳥肌がたつという。そして、こう自分に言い聞かす。「自分もこの瞬間を目指してやっているんだ。だから、今日の試合も精一杯、頑張ろう!」。車いすテニスを始めて、わずか3年。一気に世界の舞台へとのし上がってきたその勢いはとどまるところを知らない。昨シーズンスタート時、147位だった世界ランキングは今、25位にまで浮上している。しかし、ここからが本当の勝負だ。近いようで遠い頂を目指し、三木は今、未知なる戦いに挑んでいる。

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