しかし、僕の中にはいくつか「地雷」がある。その一つが「時間」だ。時間的に先が見えなくなるとき、急に空き時間ができたとき、僕の中で、急速に苛立ちや怒りが湧き起こってくる。
真夏の駅前で、何もすることのない「30分」という時間が、ギリギリと心にのしかかってくるように感じられた。
1分単位で時間を気にする息子
でも、その日に限って言えば、イライラしているのは僕だけではなかった。家を出てから、ずっと僕と手をつないだまま離そうとしない小学生の息子が傍にいたのだ。「初めての病院に行く不安から、僕の手を握ったままなのかな」と思った。
息子の顔を覗き込むと、眉間にしわを寄せ、眉はきれいな八の字型になっている。イライラしたときや怒ったとき、不安なときになどに見せる、息子特有の表情だ。
息子は、自分を凝視している父親(僕)に気がつくと、いきなり強い口調で食ってかかってきた。
「お父さん、あと29分、どうするの!?」
おっ、30分ではなく29分と言うのか、と僕は思った。この子らしいな、と。
息子も、僕とは気にする点が少し違うものの、やはり「時間」に細かい。これは、どんなときも変わらない。確かに電車を降りて、僕が「あと30分もあるんだな」とつぶやいてから、改札を出て駅前に来た今まで、約1分かかっている。そのことを小さな頭で瞬時に考え、その上で父親に文句を言っているに違いない。
息子にとっては、この「1分」が、いろいろな意味でとても大事なのだ。だから僕が答えないと、何度でも繰り返し聞いてくる。「あと30分どうするの?」ではなく、「あと29分どうするの?」と。
僕がようやく「う~ん、どうしようか」と曖昧に答えると、息子は「え~っ、考えていなかったの!」と、小さな身体をぶるぶると激しく震わせて、不満の感情を露わにした。
息子は、時間に細かいだけでなく、先の予定が見えないことを何よりも嫌う。その点は僕と同じだ。このとき、「つくづく親子だな」と思った。