「その方は非常に有能なエンジニアだったのですが、50歳を機に『若手の育成に力を注いでくれ』と管理職のポジションに置かれた。外見的には出世ですが、職人気質の彼には部下の意見を集約し、なおかつ上司と折衝する仕事は荷が重かったようです。次第に奥さんに愚痴るようになった。
『俺には管理職なんて向いてない。単なるエンジニアに戻りたいよ』
と。ある日、奥さんは叱咤激励するつもりだったのかもしれませんが、夫にこう言ったんです。
『そんな弱々しいあなたは見たくない。今みたいなあなただったら、私は結婚したくなかった』
残念なことに、この言葉がトリガーとなってしまった。数日後、彼は鬱々とした気分で電車に乗り、思わず女性の身体を触ってしまったのです」
危ない期間は3年程度
働いて働いて、その結果として得られたポジションに納得ができない。その気持ちを打ち明けたら妻に一蹴される---。けっして特殊な例だと片付けることはできない。
数学者の藤原正彦氏は、かのニュートンもそうだったと話す。
「ニュートンがおかしくなったのは40代後半です。20代半ばで、リンゴが落ちることと月が地球を回ることは同じ『引力』が要因だと気づいたが、それを数学的にビシッと証明したのは40代前半なんです。仕上げの2年間ほどは、それこそ昼も夜もなく研究に没頭した。で、その仕事を終えてからおかしくなった。
交友のあったジョン・ロックに『あなたは私を女性問題に巻き込もうとしている』と支離滅裂な手紙を送りつけて絶交したり、ふさぎ込んだと思ったらハイテンションになったり、すごく奇妙な精神状態が5~6年間続きました」
藤原氏は、その時期こそがニュートンの思秋期だったのだと分析している。
「女の更年期のように閉経してガクンと性ホルモンが減るわけではなく、徐々に減っていくわけですが、その頃になると若いときと同じようには仕事ができなくなるわけです。
学者、なかでも理系の学者は大学生のときから『学問研究こそ世の中でもっとも尊い』と信じてやっています。しかし、50歳になると研究を支える体力と精神力がなくなってくる。いいアイデアがあっても、実行する体力がない。それこそ半年とか1年間、一つのことを考え続けなければ、新たな研究成果にたどり着くことは不可能ですから。