2013.01.28

第1部プロ野球のドラフト1位たちが告白「これで終わった」自分の心が折れた瞬間

有名スポーツ選手たちの苦悩と悔恨
週刊現代 プロフィール

 結局、2階から転落した際の右足複雑骨折が致命傷となり、溝口のプロ野球人生はわずか3シーズンで幕を閉じた。現在は北九州市内の整形外科でトレーナーとして働く溝口が言う。

「プロで大切なことは自分を持つこと。『自分はこうなりたい』という信念を持って、自分の道を歩んでいける人が成功すると思う」

 

何のためにここにいるのか

 千葉の強豪・市立船橋のエースストライカーとして'94年度の冬の高校サッカー選手権優勝に貢献。8ゴールを挙げて大会得点王に輝いた森崎嘉之(36歳)もプロとしての信念を持てなかったタイプだろう。

 '95年、鳴り物入りでジェフユナイテッド市原(現ジェフ千葉)へ入団した森崎だったがリーグ戦の出場はなく、ナビスコカップに1試合、4分間出場したのみ。わずか2年で解雇の憂き目に遭った。

「まあ、不真面目だったんでしょうね。若かった。それまでサッカーしかやってなかった人間でしたし、いろんなものに興味が湧いてくる年頃でもありましたから。当時のJリーグはまだバブル期で、いまと比較すると給料も数倍よかったので、それなりに楽しいこともできたんです。サッカーに対する欲がなかったというか、どこか薄かったんでしょうね」

 ジェフでは、1学年先輩に城彰二がいた。同じポジションのライバルではあったが、同世代。一緒に過ごす時間も多かったという。だが、城が日本代表に上り詰めたのとは対照的に、森崎に出番は訪れなかった。

「彼と同じように使ってくれていたら、同じようにプレーできるだろうっていう気持ちはありました。ただ、試合に出るまでが大変。僕の実力や努力が足りなかったというのはもちろんあったのですが、気に入った選手しか使わないような監督の采配もありました。サッカーがつまらなくなり、いったい何のためにここにいるんだろうって感じでふて腐れてしまった。いま思えば、プロで残っている人は、努力だけではダメ。人付き合いだったり、上下関係だったりがしっかりできているんだと思います。一般の社会と一緒ですよ。でも、当時の自分はそんな風に考えられなかった。練習後の風呂場で、監督などに会ってもどこか逃げていた」

「やる気が見えない」と批判されたこともあった。

「ジェフ時代は寮暮らしでしたが、寮に帰らず、外泊先から練習に行くこともあった。チヤホヤされていたから、食事に行っても、お金を払わなくてすむ。試合の前日だろうがお構いナシで遊んでいましたね。でも、いま考えればそういうことも含めて、クラブはすべて知っていたんだと思います」

 もっとできたはずだと、後悔はないのだろうか?

「何もやってないからこそ、後悔はないんです。プロには入ったけど、右も左もわからないうちだったから、すっぱり辞められた」

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