2013.03.04

インフレで給料があがるのはどの産業か?

髙橋 洋一 プロフィール

 アベノミスク、特にインフレ目標をいろいろな人に話していると、若い人がきょとんとしていることがある。筆者が社会人になったのは1980年だが、その年より後の生まれた人だ。

 考えてみれば、彼らにとってバブル景気はせいぜい小学生のころで記憶がない。物心がついてから一貫してデフレなので、インフレの経験がまったくないのだ。

 その一方、筆者より上の世代は、第二次世界大戦直後の猛烈なインフレの印象が強く、インフレと聞くとハイパーインフレと過剰反応する。このときのインフレ率は年率500%くらいであった。もっとも、このときの物価暴騰は戦争で生産設備が壊滅的な打撃を受けたことによるモノ不足が原因だ(2012年11月26日付け本コラム「「インフレで喜ぶのは資産家だけ」という野田首相は「日銀キッズ」でお勉強したら?「金融政策」が総選挙の争点になったのは、国民にとって福音だ!」参照)。

 80年代後半のバブル景気の前に、1970年前半の狂乱物価もあった。1974年のインフレ率は20%くらいだった。この原因は、1973年10月に勃発した第四次中東戦争に端を発した第一次オイルショックによると説明されるが、実は変動相場制移行に伴う国内への過剰流動性の供給が原因である。これは金融引き締めでおさまった。

 バブル時代は、実は、一般の財・サービスの価格の上昇率、つまりインフレ率は高くなかった。その一方、当時のバブルは株式・土地の資産市場だけで価格が上昇した。カネが資産市場だけに流れ込んだので、資金規制で潰すべきで、金融政策での対応は必要なかったわけだ。当時、筆者は大蔵省証券局にいて資産市場に目を光らせる担当者であったが、株・土地への取引規制を行い、その結果バブルは収束している。

 ところが、70年代の狂乱物価とバブル景気を混同して、日銀が金融引き締めを行ったのは大失敗だ。さらに悪いことに、日銀官僚の無謬性があるので、バブルつぶしの金融引き締めは正しい政策だということが、その後の20年間にも及ぶ金融引き締めを正当化する根拠になってしまっている。世界との比較をすれば、20年間の金融引き締めは間違っていたことが明らかである。詳しくは、1月14日付け本コラム「日銀失敗の原点!株式・土地の資本市場だけが価格上昇するバブル退治に「金融引き締め」は間違っていた」をご覧頂きたい。

 この20年間、ほぼデフレなので、アベノミクスで人々のデフレ予想をインフレ予想に転換しても、インフレの世界を思い描けない人が多いのは、やむを得まい。

 インフレは経済学の格好の研究対象だ。インフレの社会コストは経済学の教科書でしばしば取り上げられている。アメリカで有名な教科書である「マンキューの経済学」にもでているが、経済学者と一般の人の間に大きな認識ギャップがある。

 インフレの社会コストについて、経済学者は小さくみるが、一般の人は心理的なものからか大きく見る傾向がある。もちろん経済学者も、年率10000%を超えるようなハイパーインフレについては社会経済構造を根こそぎ壊すような大きなコストがあると考えているが、年率5%にもならないようなマイルド・インフレではほとんど問題にならないという。

 経済学者はインフレの社会コストを、価格を書き直す「メニュー・コスト」、現金を保有するときに目減りするコスト、インフレが高くてもすぐに価格を書き直せないので資源配分が非効率になるコストなどを列記して計算している。学者によっていろいろなモデルでの計算があるが、インフレ率2%程度でインフレの社会的コストは最小になって、GDPの1%程度というものが多い。これからインフレ率が1%程度乖離すると、インフレの社会的コストは0.2%程度になる。例えば、インフレ率マイナス1%のデフレからインフレ率2%のマイルド・インフレに持っていくと、社会的コストはGDPの1.6%から1%へと減少するというのが経済学者の意見になる。

 しかし、一般にはそう考えない人が多い。一般の人は身の回りの半径1メールの現象、特に関心ある品目での値上がりや心理的なもの、さらに過去の事実に大きく左右される傾向がある。

 ただし、振り返ってみれば、狂乱物価でも日本経済はあまり影響なかった。数%のインフレでも経済成長をしていた。要するに、アベノミクスのインフレ目標2%が想定するようなマイルド・インフレのコストは小さいのだ。

インフレ時代は21勝3敗

 それでは、デフレとインフレでは賃金はどうなるのだろうか。これまで20年間はデフレだったので、賃金はほとんど伸びていない。しかし、インフレの世界になると賃金の伸びが期待できるが、一体自分の賃金はどうなるのか、誰でも関心があるだろう。

 ただし、日本は自由な労使関係を前提とする資本主義社会である。賃金の伸びは労使交渉の世界なので、どうなるかは誰もわからないし、国が強制できることでもない。一般的に、労使交渉は、インフレ率に企業や産業ごとに異なる生産性向上分を加えて行われる。

 このため、これまので1971年からのデータを見れば、結果として賃金の伸びは、賃金(一人当たり報酬伸び率)はインフレ率を少し上回る形で決まってくる。両者の相関係数は0.95とかなり高い。もっとも、賃金と物価は相互に関係があり、両者の間の因果関係を決めるのは難しいが、仮にインフレ率が変われば、それに応じて賃金は労使交渉で上がる方向になるはずだ。

 なお、上のグラフをよく見ると、賃金はインフレ率を少し上回るといいながら、1971-94年までのインフレ時代と1995-2011年のデフレ時代では違っている。

 それぞれの時代で賃金上昇率とインフレ率で前者が大きいと勝ちとしてみてみよう。インフレ時代は21勝3敗、デフレ時代は5勝12敗。デフレ予想からインフレ予想に変えて、完全に賃金の調整が終わるまでには2年程度かかるかもしれないが、いずれにしてもインフレのほうが労働者は勝つ。

 もっとも、ここまでは全国の平均的な話だ。政策としては重要だが、半径1メールに関心がある多くの人にとっては別世界の話に思えるかもしれない。本来であれば、企業レベルまで話をブレークダウンできればいいのだが、とてもそこまでの能力は筆者にないので、産業レベルで勘弁してもらおう。

 ある産業の賃金が産業全体の賃金の動きに比べて大きいか小さいかを示すものとして、全産業感応度を考えよう。これは、個別証券と市場(マーケット)の連動性を示すベータ値(β)といわれるものと同じコンセプトで、過去一定期間の各産業の賃金変化率を全産業の賃金変化率と回帰分析することで推定したときの回帰直線の傾きとして計測される。一般に全産業感応度が1であれば、全産業平均と同じ値動きをしたことを示し、また1より大きければ全産業平均より変化率が大きく、一方で1より小さければ全産業平均より変化率が小さかったことを示す。いわゆる安定産業では全産業感応度が小さくなる傾向がある。

 産業によっては全産業の動向とは無関係に賃金が決まる業種もあるが、比較的安定的な全産業感応度を持っている産業で考えてみると、大きいものから順に鉱業、卸売・小売業、運輸業、建設業、その他サービス業、情報通信業、製造業、医療・福祉、電気・ガス・熱供給・水道業で、それぞれの全産業感応度は、1.41、1.38、1.34、1.15、0.82、0.77、0.72、0.70、0.64となっている。

 なお、フルタイムとパートタイムで比べると、0.66と0.81となっており、パートタイムのほうがフルタイムより感応度が大きい。

 要するに、雇用形態で見ればフルタイムよりパートタイム、業種で見れば鉱業、建設業、運輸業、卸売・小売業が相対的に賃金の上昇スピードが高いだろう。労働集約的な業界が並ぶ。

 大手コンビニチェーンのローソンが平均3%の賃上げを表明して話題になっているが、先をみれば合理的な発言だ。人手不足なってからでは遅いので、今から手を打っていると考えたほうがいい。なお、もちろん、同じ業界でも企業によって千差万別であることはいうまでもない。

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