
大野自身は22年前の夏をどう記憶しているのか。話を聞いた。
「いま思えば、本当に無謀だったと思います。右肘の痛みは明らかに普通じゃなく、投げるとゴリゴリと変な音がするし、ピキーンと痛みが走って動かなくなることもあった。それでもあの時の僕は『甲子園で投手生命が終わってしまってもいい』と思って投げていました。背番号1を託された高揚感もあり、頭の中には勝ちたいという思いしかなかったんです」
同じようにエースナンバーを背負った安楽も、責任感から投げ続けたのだろう。
「そうですね。済美にもう一枚ピッチャーがいれば、安楽君も連投せずに済んだでしょう。特に、彼は力投型の投手。優勝した浦学のエースのほうは上手く力を抜きながら投げられるタイプでしたね」
今センバツ後には「投手の球数制限」導入の必要性も議論を呼んだ。当事者だった元球児はどう考えるのだろうか。
「もしもそうなれば甲子園に限定せず、地方大会や練習試合にも適用するなど、高校球界全体での取り組みが必要です」