
ショーが終わって部屋に戻っても、一向に寝付けない。やっと眠気がさしたと思ったらマクベス夫人が夢に現れた。赤ワインを勧めるので口にするとそれは毒入りで、苦しんでいるところにマクベス夫人から邪悪な笑みをあびせられる夢だった。
だが、通いつめるにつれ、私はマクベス夫人の人間味にも次第に目がいくようになった。権力欲にとりつかれてマクベスをけしかけているが、マクベス夫人はマクベスを道具として利用しているだけではない。彼女はマクベスを愛している。
そう気がついてみると、スパークスが演じるマクベス夫人のマクベスへの愛情表現は大変きめ細やかである。ボールルームのダンスで見せる表情も優しい。そしてまた、罪の意識があるからこそ、理性を失ってもいく。強い女性の弱い部分が垣間見えると、思わずいとおしさを覚えてしまう。徐々に私はマクベス夫人に感情移入して『スリープ・ノー・モア』を見るようになっていった。
「ダンスの世界で自分にはできることがある」
トーリ・スパークスはフロリダで生まれ育った。母親はコミュニティ・シアターの衣装デザイナー。生まれつき足に障害があったため、セラピーとして3歳のときにダンスを習い始めた。すぐにダンスが好きになり、芸術高校でもダンスを習ったが、内気な性格のためスポットライトを浴びる職業に就こうとは考えなかった。また、ダンスの技術の厳格さに縛られる人生を送りたいとも思わなかった。
科学にも関心のあったスパークスは、大学では動物学を専攻した。それでも彼女はダンスに魅了され続けた。コンタクト・インプロヴィゼーションという即興のダンスに出会って自己を解放できたこともあり、「ダンスの世界で自分にはできることがある」という内なる声に導かれたスパークスはダンスに専攻を変え、フロリダ州立大学を卒業した。
大学時代に、後にサードレール・プロジェクトのアーティスティック・ディレタクターになるジェニー・ウィレットとトム・ピアソンに出会っている。『ゼン・シー・フェル』はサードレール・プロジェクトのこれまでの集大成といえる作品である。
卒業後はアメリカン・ダンス・フェスティバルでのトレーニングを経てニューヨークに移り、2年間と期限を決めて自分の可能性を試そうとした。初仕事はジュリア・マンデル率いるJ・マンデル・パフォーマンス。そこで彼女は、劇場ではなく公共の場所などオールタナティブな場所で、その場所ならではのパフォーマンスを繰り広げるサイト・スペシフィックなパフォーマンスに出会った。
コンタクト・インプロヴィゼーションに親しんでいたスパークスにサイト・スペシフィックはうってつけで、多くの仕事が舞い込み公演旅行を重ねた。また、サードレール・プロジェクトもサイト・スペシフィックの方向に進み、スパークスはコラボレーティング・アーティストとして踊った。
だが、スパークスは常に様々なアートに興味がわき、そのクリエイティビティがダンスの世界に収まることはない。十分にやり尽くしたと感じた彼女はダンスをやめ、写真やビデオアートを撮り始めた。ビデオと振り付けには共通する部分があるという。