集中連載「橋下徹とメディア」 第1回
「囲み取材」という放談会が生んだ「従軍慰安婦」発言 【前編】

取材・文/ 松本創(ジャーナリスト)
大阪市役所5階でニュースは「作られる」
大阪市役所の5階は他のフロアに比べて照明がぐっと抑えられ、エレベーターホールから続く通路は昼間でも休庁日のようにひっそり静まり返っている。
フロアの南側は「Office of the Mayor」と文字の入った磨りガラスの壁で仕切られ、奥へ進めば市長室、副市長室、秘書たちが控える政策企画室秘書部と二つの応接室。反対の北側には「大阪都」構想を推進する府市大都市局、市長が指示した政策やプロジェクトを担当する政策企画室企画部、広報・広聴や報道機関に対応する同室市民情報部、そして市政記者室がある。
つまり、市幹部の執務室および市長直轄の重要政策を扱う中枢部門と、それを"監視"する報道機関が一つのフロアに同居し、市長室は南東角、市政記者室は北西角と、対角線上で相対している。照明を落としているのは、一般市民の出入りが少ないためか、あるいは威厳や重厚感の演出だろうか。単に節電が理由ではないらしいが、職員に聞いてもはっきりしたことはわからない。
市政記者室、いわゆる記者クラブには新聞・通信社14社、テレビ・ラジオ局7社の計21社が加盟している。このうち記者を常駐させているのは12~13社。2011年暮れ、橋下徹が市長に就任すると同時に各社とも担当記者を増強し、最も手厚い全国紙だと5~7人をクラブ員として登録している。
常時30人はこの部屋に詰めているはずだが、定例記者会見などが開かれる時以外、室内は静かだ。社ごとにパーテーションで区切られた「ボックス」と呼ばれるスペースに籠り、会話や電話も声を潜めてする。競争の激しい記者クラブほど、そういう光景になるのは全国どこでも同じだろう。
一見閑散としたその市政記者室よりも、よほど頻繁に会見が行われ、報道陣でごった返す場所が同じフロアにある。エレベーターホール前の、例の薄暗い通路である。橋下は登庁と退庁の際、ここで待ち構える記者たちの前に立つのが日課になっている。「囲み取材」と呼ばれる慣習は府知事時代に始まり、市長に転じた後も「府庁と同様に」との橋下の意向で通算5年あまり続いている。
1ヵ月半を経た今も尾を引く橋下の「従軍慰安婦必要だった」発言は、5月13日登庁時のこの場で飛び出した。同じ日の退庁時には、沖縄・普天間基地の米軍司令官に対して「風俗活用」を勧めたことを橋下自身が明かした。2つの発言は国内外から批判と反発を招き、橋下は釈明に追われることになった。共同代表を務める日本維新の会への風当たりも強く、党内の足並みは乱れた。
橋下はその後、「風俗活用」発言については撤回し、「米軍と米国民に向けて」謝罪したが、「従軍慰安婦」発言については「間違ったことは言っていない」とし、反発が広がったのはマスメディア、主に新聞の「誤報」のせいだという(途中から言い始めた)主張を変えていない。
名指しで執拗に批判された朝日新聞と毎日新聞は5月末になって、それぞれ大阪本社の編集幹部による反論を載せた。そこにある通り、これは誤報などではまったくないと私は思う。〈文脈から伝わったのは、従軍慰安婦問題の見解や歴史認識以前の、橋下氏の人権感覚、人間観ではないだろうか〉〈原因は橋下氏の発言、言葉そのものにある〉という毎日新聞の指摘に全面的に同意する。
しかし一方で思う。橋下徹という人物にこれほど言いたい放題を許し、発言力と影響力を与えてきたのは、ほかならぬマスメディア自身ではないか。彼の詭弁・すり替え・責任転嫁の論法、"本音"や"決断"という名の暴言暴論、恫喝的で攻撃的な悪口雑言を垂れ流し、それに有効な反論・批評を加えられなかった主に在阪メディアが、彼をここまで増長させたのではなかったか。
今回は、彼が自らの発言によって窮地に追い込まれたほとんど初めての事態(これまではどんな危機を招いても、その恐るべき弁舌によって切り抜け、逆に支持を拡大してきたように見える)となった。これを契機に、橋下と彼を取り巻く在阪メディアの関係をあらためて検証しておくべきだろう。
一連の発言による騒動の余波が続いていた5月下旬から6月中旬にかけて、私は囲み取材や週1回の定例会見に何度か通ってみた。
橋下と記者団の間でいったいどんなやり取りがなされ、そこでの発言はどのように切り取られるのか。両者はどのような関係にあり、どういう雰囲気の中で取材が行われているのか。会見の模様はすべて動画に記録され、ネットで公開されてはいるが、実際にその場を見ないとわからないと思ったからだ。
橋下をめぐるニュースが報じられる・・・というより、積極的に「作られていく」過程を、である。そして、聞いてみようと思った。日々この場に集まって橋下の一挙手一投足を見つめ、片言隻句まで追いかけている記者たちは、ほんとうのところ何を考えているのか---。