2013.08.19
# 雑誌

東電・吉田昌郎(元福島第1原発所長)さんへのレクイエム「あの時、確かにひとりの男がこの国を救った」

ありがとう、そしてお疲れさまでした
週刊現代 プロフィール

 私のようなフリーの人間は、軍団で攻めていく大メディアによる正攻法ではなく「周囲」から攻めていくしかない。吉田さんの親友、恩師、先輩、上司……あらゆるルートを辿って、私は吉田さんにアプローチした。やがて、あるルートが吉田さんに繋がり、病床で私の手紙と著作を吉田さんは読んでくれることになった。

 吉田さんは、私の戦争関係の著作を読んで、「会うこと」を決断してくれた。おそらく太平洋戦争の最前線で戦う兵士たちの思いを綴ったインタビューとドキュメントに福島第1原発での自分たちを重ね合わせたのではないかと思う。やっと私が吉田さんに会えたのは、アプローチを始めて1年4ヵ月後のことだった。

 食道癌の手術と抗癌剤の治療を終え、外出を許されるようになった2012年7月、吉田さんは、西新宿にある私の事務所を訪ねてきてくれた。

 184センチの長身で、やや猫背気味の吉田さんは、ニュース映像とはまったく面相が変わっていた。

 頭髪は坊主のように短くなり、頬はこけている。食道癌の手術とその後の抗癌剤治療の過酷さが窺えた。

 挨拶を終えたあと、私は吉田さんにこう伝えた。

「今回の事故は、日本史の年表に今後、太字で書かれるような歴史的なものです。私は、あの過酷な事故の中で何度も原子炉建屋に突入していった人たちの真実を伝えたい。東電バッシングが続いている中で、今の人たちにたとえ読まれなくても、私や吉田さんが死んだあとの孫やひ孫の世代に向かってこの本を書きます。だから吉田さんは私に対してというより、"歴史"に向かって証言してください」

 吉田さんは、特徴である人なつっこい顔でにっこりして、

「門田さん、私は何も隠すことはありません。門田さんが聞きたいことはすべて答えますから、なんでも聞いてください」

 そう言ってくれた。こうして吉田さんへの取材は始まった。

「チェルノブイリの10倍です」

 ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは、そう答えた。あまりに当然のような顔をして吉田さんがそう言うので、却って拍子抜けしたほどだ。

 その時、頭に浮かんだのは、"悪魔の連鎖"という言葉である。事故が起こっても、石油などの化石燃料はいつかは燃え尽きるが、原子力はそうはいかない。

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