ひとたび原子炉が暴走を始めれば、原子炉を制御する人が近づくこともできなくなり、次々と原子炉が"暴発"し、燃え尽きることもなくエネルギーを出し続ける。放射能汚染は限りなく広がっていくのである。それが悪魔の連鎖だ。
吉田さんは、そのことをわかりやすく私に「チェルノブイリの10倍」と語ったのである。
「福島第1には、6基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉がやられて、当然、(10キロ南にある)福島第2原発にもいられなくなります。ここにも4基の原子炉がありますから、これもやられて10基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう」
10基の原子炉がすべて暴走する—吉田さんは、それを「チェルノブイリの10倍」という言葉で表現してくれたのである。もちろん、黒鉛炉であるチェルノブイリと沸騰水型軽水炉である福島原発とは、そもそも原子炉の型が違うので、簡単に比較できるものではない。
だが、吉田さんのその言葉で、吉田さんたち現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
生命をかけてくれた
のちに原子力安全委員会の班目春樹委員長(当時)は、私にこう答えた。
「あの時、もしあそこで止められなかったら、福島第1と第2だけでなく、茨城にある東海第2発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う、"チェルノブイリの10倍"よりもっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった東日本の3つに"分割"されていた、と思います」
吉田さんたち現場の人間が立っていたのは、自分だけの「死の淵」ではなく、日本という国の「死の淵」だったのである。
私が注目したのは、その国家の命運を左右する決定的な作業が、大津波に襲われてから数時間の内におこなわれていたことである。
吉田さんは、全電源喪失の中で暴走しようとする原子炉を冷却するには、「海を使うしかない」と、すぐに決断している。海、すなわち太平洋の「水」である。
「消防車というのは、防火水槽からホースで水をとってタンクに貯め、それを燃えているところにホースでかけるもんだろう? それなら何台か消防車を繋げば、海の水を持って来られるはずだ」