2013.08.13
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感動読み物 有名人が語った苦難こそ、人を作る【第2回】西山太吉「汚名を着せられた日々はムダではなかった」/野村克則「いま、やっと両親の気持ちがわかった」ほか

週刊現代 プロフィール

「職員検診で血液検査を受けたら、翌日に検査会社から慌てて電話があったんです。『白血球数が異常で、赤血球も減っている。すぐに血液内科に行け』と。大病院で再検査を受けたところ『急性骨髄性白血病』と告知を受けました。クリニックを開業してまだ3年目に入った頃で、さすがに頭が真っ白になりました。『これでクリニックも終わりか』という考えも頭をよぎりました」

 検査後、即入院を言い渡されたため、しかたなく近くの病院で勤務する大学時代の先輩に、自分の患者を他の病院へ振り分けてほしいと頼んだ。

「すると、『クリニックは閉めなくていい』と、入院していた半年間、大学の医局から18人の先生に日替わりで代診に来てもらうことになったんです。本当にありがたかった」

 入院中、帚木は無菌室の中で筆を執った。そして書き上げたのは、小説『水神』。

 江戸時代、渇水に苦しむ村で、村民や子々孫々のために命を賭して大河の堰工事に身を捧げた男たちの闘いを描いた歴史小説だ。

「4畳半ほどの無菌室のベッドに、原稿用紙や資料を殺菌消毒して持ち込んで、ひたすら筆を進めました。

 毎日、朝4時に起きて書き始めます。でも、5時に採血があって、看護師さんに『ちゃんと寝ていてください』と怒られる。だから、看護師さんが部屋に入ってくる気配を感じると寝たふりをして、出て行くとまた書くんです」

 治療は、抗がん剤治療と自家末梢血幹細胞移植を組み合わせて行われた。効果的ではあるが、大量の抗がん剤を投与するこの治療法は体への負担が非常に大きい。61歳という年齢もあって、死も覚悟したという。

「たとえ死んでも、もう十分働いてきたからいいじゃないかという気持ちもありました。でも、気付くと『一冊でも多く作品を遺したい』という本能に突き動かされていた。以来、『今書いているものが最後の作品になるかもしれない』といつも考えるようになりました」

 本を書く手は止めなかったが、病気との闘いは非常に辛いものだった。

「抗がん剤の副作用で髪は抜けるし、食事もできない。便秘にもなりました。苦しかったですね。

 抗がん剤治療を1クール終えたら仮退院して、また戻って治療、という繰り返し。でも、ある時、仮退院中に自分のクリニックで診察したら、患者さんがそれはもう喜んでくれた。『先生、案外元気そうじゃありませんか』『先生の病気に比べると、私の病気なんて屁みたいなものだから我慢します』と元気づけられました。手紙もたくさんもらった。『うちの息子も同じ病気でしたけど、今はピンピンしています』とかね。

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