2013.08.31

気を遣うメディアと、気を遣わせる視聴者の虚ろな距離感

寺田 悠馬 プロフィール

吹き替え音声でブレマー氏の発言を和らげる意図が、NHKにあったかは分かり得ない。だが少なくとも、キャスターのこの発言から明らかなのは、「ストレートな物言い」によって視聴者が気を悪くしてはならないという、「ニュースウォッチ9」の気遣いの姿勢である。

だがメディアが気を遣い、視聴者が気を遣われるという関係は、果たして健全だろうか?

たしかにイアン・ブレマーは挑発的な論客であり、氏の日本に関する発言(いや日本に限らず、さまざまなトピックに関する発言)には、違和感を覚えさせられる場合が多い。一方で、その極端な物言いがゆえに、氏の斬新な視点が浮かび上がり、思わぬことに気づかされる場合もまた多い。

いずれにせよ、メディアが紹介する氏のあらゆる発言を、視聴者はすべて信じる必要はない。いやそれどころか、氏の発言の有効性を自らの判断で見極め、独立した思考をもって解釈する権利、そして責任が、視聴者にあるはずではなかろうか。

視聴者にこうした主体性があるにも関わらず、「ストレートな物言いに、反発を覚えたという方もいらっしゃるかもしれません・・・」とメディアが弁明するのは、場違いに思えてならない。

その台詞は、視聴者の反感を招かないように、受け入れやすい形に情報をお膳立てするまでが、メディアの役割であるかのように思わせる。だが本来、報道の受け止め方は視聴者次第であり、メディアによるこの種の「配慮」は、一見親切に見えるものの、じつは視聴者の主体性をないがしろにする行為に他ならないのだ。

同時に、これはメディア側だけの問題ではないかもしれない。

与えられた情報を自ら解釈し、その有効性を見極めるといった主体性を、我々視聴者自身が、放棄してしまっているのもまた事実ではなかろうか。そう思わされる場に、直面することも多い。

「○○さえ読んでおけば大丈夫」というメディアは存在しえない

「え? でも日経が、一番良い新聞じゃないんですか?」

先日都内のある大学で、学生の方を対象に講演する機会をいただいた時のこと。講演後のディスカッションの場で、このような質問を受けた。

ディスカッションの内容は多岐にわたったが、やがて学生たちが直面している就職活動が会話の中心となっていった。そのなかで、「就職活動のために日経を読み始めた」、「日経を買ってみたが読み方がよくわからない」など、日経新聞に関する発言が学生たちから多発した。

数ある新聞の中で、なぜ日経新聞を読もうと思ったのか? 彼らに尋ねてみたところ、逆にこうした質問を返されたのだ。

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