テクノロジーが進化し、
玄人がいなくなった世界の寂しさ
兜町の変遷 1
獅子文六という作家は、すでに一般読者にとっては縁遠いものだろうが、一時は、時代を代表する人気作家だった人物である。
戦争下に発表された『海軍』は、当時のレコードを破る大ベストセラーになったし、戦争直後の『自由学校』は、映画会社二社が競作するというほど過熱した人気を博している。

二度のフランス滞在をへて、劇作家から小説家に転向した獅子は、おそらく近代日本の作家のなかでももっともフランス文学を、つまりはバルザック、スタンダール、ゾラに代表される、ブルジョワの文学を本質で捉まえ、理解し、それを肉体化した作家だろう。
その獅子文六の代表作が、昭和初期の金融恐慌から、戦後の高度経済までの兜町、証券界を活写した『大番』だろう。
四国の故郷を出奔し、誰一人頼る人がなく上京した赤羽丑之助が、株屋の小僧として拾われてから、中堅証券会社の創業者になるまでを描いた作品である。
経済小説の傑作が生まれなくなった理由
今時の、描写もできなければ、会話も展開させられない、それどころか日本語も危うい経済小説とは、何段も違う、本格小説の風格のなかに、経済という生き物をしっかりと描いている。
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取引所のマークの焼印の入った、円い木札を、バンドに結びつけ、市場へ飛んでいく時の気持は、タバコの使いの比ではない。その門鑑があれば、沸くが如き市場の中へ、出入できる。
人、人、人。声、声、声。あの空気は、ちょっと、故郷の盆相撲場に似ていて、それを、百倍も強めたようなものだ。彼は、すばらしい魅力を、感じた。そして、彼も、出場力士の昂奮を、身に味わいながら、その混雑の中から、店の場立ちの鈴木さんか、松本さんの姿を、素速く、探し求めて、側へ走り寄る。
「日本商船、十株、三十三円三!」
相手のいうのは、それだけのことである。
こっちも、それを復誦して、手帳に書きとめる。日本商船会社株、一株三十三円三十銭、十株の売買成立という報告であるのは、いうまでもない。
そして書き終ると、彼は、一散に、市場を飛び出す。カブト町と、茅場町の間の道を走って、坂本町の角を曲って、太田屋の店へ、駈け込むや否や、大声を発して、
「日本商船、十株、三十三円三、できました!」
と、報告するのである。
これが、何でもないようでいて、そう易しくない。
(『大番』)
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丑之助が、タバコや蕎麦の出前などを案配する身分から、一つ進んで「相場通し」という、市場と店の連絡係に昇進した場面である。まさしく市場が、一人一人の人間の才覚と神経と活力によってなりたっていた、発達期のエネルギーの横溢が活写されている。
そのように考えてみると、前段に今日のわが国の経済小説の稚拙さを難じたが、いささかそれは酷だったかもしれない。相場自体が、すこぶる人間臭かった時代に比べれば、今の経済というのは、それなりのドラマはあるものの、基本的に専門知とテクノロジーが支配する世界であるとすれば、そもそも最初から味気ないに決まっているからだ。
とはいっても、やはり、小説家ならばなんとかして欲しい、と思わないではないのだけれど。
そういう点からすれば、わが国だけでなく、世界的に経済小説は、不振だと考えなければならないかもしれない。資本主義の総本山、アメリカにおいてもかつてのアーサー・へイリーのような企業小説の大家は存在しないように見受けられる。
このジャンルで、最後に大成功を収めたのは、日本では『ザ・ライト・スタッフ』の作者として識られているトム・ウルフの昭和六十二年の作品『虚栄の篝火』だろう。
ウォール街のやり手証券マンを主人公とした同作品は、バブル時代の証券界と、アメリカの金満家たちの生態をトータルに描いた小説作品として、アメリカでは大成功を収めた。もっとも、ブライアン・デ・パルマ監督、トム・ハンクス主演の映画の出来は、かなりおぞましいものであったけれど。
けれども、アメリカにおいても、ITバブル以降の経済を描いた傑作は出現していないように思われる。
それは、やはり、いわゆる金融工学が、かつての「相場」というような、名人芸や玄人のみが保持し得た独特の共通感覚の存在を許す事がなくなってしまったからだろうか。
国柄を象徴するともいえる、法廷小説は、まだまだ隆盛であるのだから、ほぼデジタル化されてしまった領域と、徹底したアナログな世界というのは、やはり画然と分けられてしまうのだろうか。
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テクノロジーが、進化していくという事は、ある意味で目出度いことに違いないのだが、しかしまた、そこには喪失の悲しみ、悲しみというよりも寂しさがある事も否定できないだろう。
今日の兜町が、どうにも寂しげに見えるのは、日本経済の長期低迷だけが理由ではないように思われないでもない。
私は、株取引などには一度も手を染めた事のない人間だけれど、日本橋近辺は、行動範囲内なので、頻繁に歩いているのだが、どんどん閑散としていくばかりのような気持ちがする。株券が完全に電子化されてしまってから、証券保管振替機構に、株券を持ち込む証券マンがいなくなったように、技術進歩が閑散を生み出している事は間違いあるまい。
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もちろん、こうした抗弁は成り立つだろう。それは、テクノロジーによって熱気が分散、拡散したのにすぎないのだと。たしかに、兜町の路地に熱気はないかもしれないが、FXに熱中する主婦の携帯電話や、デイトレーダーのモニターには、かつて以上のダイナミズムが充満しているのだ、と。
そうした議論は、たしかにもっともだと思うし、それはそれでいいのだろう。それは、かつて、昼から証券関係者で賑わっていた日本橋たいめいけんのテーブルが、今日では、グルメ番組を見たお客さんで賑わっているのと同じことであって、けして悲しむべき事ではない。
それはそれで理解は出来るのだが、にもかかわらず玄人のいない世界はやはり寂しい。
以降 「兜町の変遷 2」へ。(近日公開)