[虎四ミーティング]
池谷幸雄(体操競技指導者)<後編>「仮面ライダーになりたかった!?」

“甲子園のアイドル”超えのフィーバー

二宮: 2人が出場したソウル五輪。私も現地で取材しましたが、あの時はアイドル並みの人気がありました。大変だったでしょう?
池谷: 当時、若いスポーツ選手で、そういうケースがあまりなかったんですよね。だから誰も捌き方を知らなかった。騒ぎが起こっても、どうやって防いだらいいのかわからないし、マスコミ対応もできない。高校生の僕らはどうすることもできなかったので、周りの人がものすごく苦労していたことを覚えていますね。
二宮: アイドル扱いされることについては、どうでしたか?
池谷: 素直に嬉しかったですよ。そうなりたいと思って、体操をやっていましたから(笑)。元々、目立つのが好きで、小学3年の時に「五輪に出たい」と思ったのも、有名になれるし、テレビにも出られると思ったからなんです。それに女の子にモテると(笑)。
二宮: アイドル的人気を博した池谷さんですが、何かエピソードは?
池谷: ファンレターは1日400~500通届きました。郵便屋さんのバイクが数台来て、前も後ろも横も全部、僕宛てのものなんです。大変だったのが電話ですね。当時は自宅の電話番号が普通に電話帳に載っていたんですよ。だからずっと電話が鳴りっぱなしでした。それで電話会社がウチに来て言うわけですよ。「電話大変ですよね。テレフォンサービス作りましょうか?」って。それで “この番号にかけたら池谷君と西川君の声が聞けますよ”という特別回線を作ってもらったんです。ところが、用意していた10回線では足りなくて、パンクしたそうなんですよ。だから、さらに回線を増やしたと聞きました。
二宮: それは電話会社も儲かりましたね。
池谷: 結局、僕らは1カ月くらい経って電話番号を変えましたね。あとはプレゼントも贈られてきて、ぬいぐるみやタオルとかで僕の6畳1間の部屋が埋まってしまいました。僕の誕生日は9月26日なんです。その前日の大会に出場した時、インタビューで「もうすぐ誕生日です」って言っていたら、すごいことになってしまって……。「いらんこと言うから、これ見てみなさい!」と、オカンにはメチャクチャ怒られましたね(笑)。
二宮: ファンレターやプレゼントの中には変わったものもあったのでは?
池谷: 小さい子どもが書いてくれた手紙が、平仮名で「たいそうおりんぴっくせんしゅ いけたにゆきおさま」という宛名で送られてきたことがありました。それだけ書いて切手を貼れば、ウチの家に届いたんです。さすがに、これには驚きました。
二宮: 昔、青森の三沢高校のエースとして甲子園で活躍した太田幸司さんは、「“青森県 太田幸司様”でファンレターが届いた」とおっしゃっていましたけど、それでも青森県と書いてあった。池谷さんのは「たいそうおりんぴっくせんしゅ」だけで届いたんですから、甲子園のアイドル太田幸司を超えましたね。
池谷: ハハハ。ただ、そうやってせっかくファンレター送ってくれても、ずっと練習でしたし、読むヒマもありませんでした。特に五輪から帰ってきた時の忙しさはすごかったですね。3日間、授業も受けずに、校長室で延々と取材でした。