本誌はAさんら原告の代理人弁護士を務める大島良子氏に話を聞いた。大島弁護士によると、Aさんは涙ながらに、よくこのような言葉を口にするという。
「自分の生まれた昭和28年に戻してもらいたい」
「弟たちに残り20年間、一緒に交流して生きていこうと言われたときは、すごくうれしかった」
Aさんは2歳のときに育ての父親をなくし、貧しい暮らしを余儀なくされた。電化製品も家にはラジオ一つしかなく、6畳一間で生活保護を受けながら、母子4人が肩を寄せあって暮らしてきたという。中卒で働きに出たAさんは、自ら学費を稼いで定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手として生活する。
一方、Aさんと取り違えられた男性(以下、Bさん)が育った家庭は、裕福だった。両親は教育熱心で経済的にもゆとりがあり、大学進学まで家庭教師が付けられるほどだったという。また、実弟3人も大学を出て、一部上場企業に就職した。
「今、実の弟とお酒を飲みながら話すことがあるそうです。そんなとき、弟たちが実の両親の写真を見せながら思い出話をすると、それを聞いて『どうしてそういう親に育ててもらえなかったのか』と涙が止まらなくなるとAさんは言っていました。悔しいし、取り違えた病院に憤りを感じるという表現をしたこともあります」(大島弁護士)
カネがあったら幸せなのか
たしかに取り違えさえなければ、Aさんはもっと裕福で苦労の少ない人生を送れただろう。ただ、現実問題として人生はカネがあれば幸せという単純なものではないのも事実である。
そもそも、Aさんと3人の弟が訴訟に至った経緯はこういうものだった。
'07年にAさんと弟3人の実父が死亡。翌年、弟3人はBさんを相手取り、両親とBさんが親子ではないことを認めるよう裁判所に訴えた。この時点でAさんは、育ての親とは別に、実の両親がいるとはつゆとも知らなかった。
なぜBさんら4人は、実の兄弟として裕福な家庭で育ったはずなのに、裁判で争うことになったのか。背景には、Bさんと弟3人との間に発生した遺産相続をめぐる諍いがあった。