しかしそれでも、阿部はサッカーに頼らない生き方を求めた。
「引退したとき、サッカー関連の仕事への誘いがないわけではなかった。でも、解説者や指導者になれるのは、ほんの一握りのスターだけ。僕のような中途半端な選手の場合は、安月給でフットサルのコーチをするくらいです。その仕事を否定するわけではありませんが、それなら新しい世界を知りたいと思ったんです」
家族を食わせるために耐える
そんな阿部の就職先が決まったのは、就活を始めてから3ヵ月が過ぎた頃。ブライダル事業を扱う企業に、ウエディングプランナーとして勤めることが決まった。
ただ、勤め始めた後も、華々しいプロスポーツの世界とのギャップに、戸惑いの連続だったという。
「特に苦労しているのは言葉遣いです。ウエディングの仕事は、丁寧で正しい言葉選びが要求されますし、これまで、人の気持ちを考えて話すことなどなく生きてきましたからね。嫁さんを相手に電話対応などの練習をしていますが、まだ全然ダメです」
サラリーマンになりきれず、就職後に悩むのは、阿部だけではない。今年、球団史上初の日本一を果たした楽天が、初めてクライマックスシリーズに進出した'09年に、クローザーとしてチームを牽引した福盛和男(37歳)もそうだ。
彼はいま、叔父が経営する携帯電話の販売・修理会社で、取締役を務めている。
「クライマックスの日ハム戦でスレッジから浴びた逆転満塁ホームラン。あれが僕の引退の引き金になったと思っている人が多いですが、そうじゃないんです。実はその前から肘を壊していた。その状態が翌年も続き、もう思うように投げられませんでした。そんな時、叔父から『跡を継いでくれないか』と話があり、僕もここが引き際かなと感じたんです。
僕を含めプロ野球選手はみんなプライドがありますからね。年齢的にも精神的にも、下積みから人生をやり直すのは……やはり難しいですよ。だから、取締役という立場は正直、ありがたかった」
しかし、プロ野球選手がいきなり役員になれば、周囲からは当然、懐疑的な視線を向けられる。
「全く知識のない人間が上司になるわけですから、当たり前ですよね。仕事で会った取引先からも、『野球しかやってこなかったくせに何がわかる』という雰囲気が伝わってきました。
いまは徐々に認められている気もしますが、仕事が楽しいかと聞かれれば、楽しくはないです」
それでもいまの仕事を始めて3年になる。続けていられる理由を、福盛はこう語る。