「家族だけはしっかり食べさせてやらないといけないですからね。プロ野球選手のなかには、辞めた途端カネが無くなって離婚する人も結構いますけど、僕はそれだけはするまいと踏ん張ってきました」
福盛のようにある程度の実績を残し、「やりきった」と思ってプロの世界から身を引ける者はまだいい。不完全燃焼のまま戦力外を通告された者は、葛藤しながら次の職を探す。
'98年にドラフト8位で中日に入団した清水清人(34歳)もそうだ。「打てる捕手」として期待されながら、結局チャンスを生かせないまま、'05年に戦力外通告、そのまま引退を余儀なくされた。現役時代、清水がポジションを争った相手は、あまりにも強大だった。
「長年マスクを被っていた中村(武志)さんと、その中村さんと入れ替わるようにベイスターズから移籍してきた谷繁(元信)さん。いずれも中日では絶対的な存在であり、自分には大きすぎる壁でした。
ただ、僕はプロだった8年間一度たりとも野球への情熱を失うことはありませんでした。だからこそ、仕方ないと頭ではわかっていながら、野球を辞めなくてはならないのは本当につらかった。球団なんてどこでもいいから、続けられるだけ続けたい、そう思っていました」
名刺も持ったことがない
悩む清水は、戦力外通告を受けたその日、地元島根で一本釣り漁師をしている父親に報告した。するとその翌日、父親から電話がかかってきた。
「『こっち(島根)に戻って漁師をするのもいいんじゃないか』と言われました。当時僕は26歳。最初は『まだ地元に戻るのは早い』と思いましたよ。でも、じゃあ自分に何ができるのか、と考えたら野球以外には何もないと初めて気づいた。そして、父親が黙々と続け、実はずっと僕に継いでほしいと思っていた漁師の仕事について真剣に考えるようになりました」
清水が出した結論は、故郷に戻って父親の跡を継ぐというものだった。
「決めてからは迷いませんでした。他球団からブルペン捕手の誘いもありましたが、きっぱり断りました。僕にとって、どうしても野球はプレーするもの。中途半端に続けたくなかった」
いま清水は漁船に乗り、毎日、日が昇る前から漁師の仕事に明け暮れている。
'97~'98年の西武のリーグ連覇に貢献し、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得した高木大成(40歳)の今の職業は、ホテルマン。西武の球団職員を経て、プリンスホテルに勤務している。
「現役を続けたいという気持ちもありましたから、進路については、本当に悩みました」