2014.03.28
# 雑誌

「東大までの人」と「東大からの人」大切なのは「出身高校」というブランド

週刊現代 プロフィール

地元じゃ一番だったのに

そうした意識の差や名門校出身者の余裕は、「地元では一番」だったはずの地方の高校出身者にとっては衝撃的なものとなる。

町始まって以来の天才などと地元では扱われていたにもかかわらず、頑張って東大に入ってみれば、周囲の会話は、

「俺はセンター試験886点だったけど、あいつは889点だったんだ」(満点は900点)

「彼、1年生の間に司法試験合格しそうなんだって」

「彼は国際数学オリンピックの金メダリストだよ。僕は銅メダルだったけどね」

というようなもの。いまは沖縄県の離島に住む35歳の東大卒業生・片岡健介さん(仮名)は、こう話す。

「小学2年生のときからピアノ教室に通い、その魅力に取りつかれて、夢はピアニストになることだったんです。でも学校の成績はずっと一番で、まわりから『神童』と呼ばれてしまい、県下一の進学校に通うことになりました。

地域で一番、県内で一番ともなると、周囲は当然のように東大進学を勧めてきます。その期待通りに受験し、合格はしたのですが、そこで驚くことが起こった。ちゃんと勉強しているのに、僕はどうやら、一番ではないらしいとわかったんです」

 

片岡さんが合格したのは、理科一類。3年次以降は、主に理学部や工学部に進学する科類だが、リベラルアーツ(教養)教育を掲げる東大では、1~2年生の間は専門教育を行わず、理系でも文系的な科目を履修したり、また逆に文系でも理系的な科目を履修する必要もあるなど、さまざまな分野の知識に触れることが求められる。

「僕は一番だから東大に入って、一番だから夢をあきらめて頑張ってきましたが、そうでなくなってみると、東大でやりたいことなんて別に何もない。本当は音大に入って、ピアノを弾いていたかったと後悔したら、心のバランスを崩してしまった。たぶん、うつ病か何かだったんだと思います。

授業に出ても頭には何も入ってこず、唯一楽しかったのが数学だったのですが、3年次の専門科への進学では点数が足りなくて、理学部の数学科に進むこともできませんでした」

その悔しさをバネに勉強し、2年後には数学科の大学院に入ったものの、そこで片岡さんは電池切れ。論文も書けないまま5年間を過ごし、29歳で退学処分。ハローワークで仕事を探すこととなった。

原発危機と「東大話法」』(明石書店)などの著書がある東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授はこう指摘する。

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