2014.08.18
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特別ルポ レタスを作って平均年商2500万円 長野県川上村「日本一健康長寿で裕福な村」の秘密

コンビニも、カラオケボックスもない
週刊現代 プロフィール

川上村は東京23区の3分の1ほどの面積に、3960人が暮らす。そのうち農業従事者は実に7割を占め、約600戸が農家である。平均年商2500万円は、「日本一裕福な村」と言ってもいいだろう。

変わらない毎日を暮らす

かつての川上村は、島崎藤村が『千曲川のスケッチ』で「信州の中で最も不便な、白米はただ病人にいただかせるほどの貧しい、荒れた山奥の一つ」と記しているような、さびれた寒村であったという。

その川上村が、一体どうやって「日本一裕福な村」になったのか。

転機が訪れたのは戦後'50年代。アメリカの進駐軍がレタスの栽培を持ち込んだことがきっかけだった。レタス農家の林亀美夫さん(83歳)が当時のことを話してくれた。

「俺たちはあの頃、レタスのことを『特需』と呼んでいた。米兵がそれだけレタスを欲していたということだよ。朝鮮戦争が始まり、日本からアメリカ軍に軍事物資、食料を提供することになって、川上村でレタスを栽培し始めた。高冷地であることと、土壌などの環境がレタスの栽培に適していたことが大きかったな」

その後、日本は経済復興を遂げ、食の欧米化が進み、国内でのレタス需要が急増。東京まで3時間と流通の便が良かったこともあり、川上村のレタス出荷量は右肩上がりに増えて行った。去年の出荷量は年間約6万t、出荷総額は約160億円に上る。この数字はもちろん日本一である。

だが、どんなに稼ぎがよくなろうが、川上村の人々の暮らしが、根本的に変化したわけではない。

レタス農家を営む60代男性が、日々の暮らしぶりを訥々と語る。

「出荷がピークを迎える7月の農繁期なら、まだ夜が明ける前、真っ暗闇の午前2時ごろから畑に出て、トラックのヘッドライトのなかレタスを収穫するんだ。午前中に出荷を終えると、その後は二期作に備え、再び苗を植える作業が始まる。午後の5時ごろまでは畑にいるかな。それで帰宅して風呂に入り一杯飲んでから食事をすると、あとは明日の作業に備えて寝るという毎日。なにも変わったことなんかないよ」

また別の農家の70代男性はこう続ける。

「春はビニールハウスに種まきをして苗を栽培。雪が解けてきたら畑の準備をする。トラクターで耕し、肥料をやり、定植する。雨が降れば休みだし、晴れたら畑に行く。それだけだよ」

川上村を歩くと気づくことがある。元気な高齢者が多いのだ。前出の83歳の林さんは、今も現役。60歳はもちろん、70歳を過ぎても畑に出ている人をたくさん見かける。川上村の65歳以上の就業率は実に63・3%に上る。

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