「今宮を初めて見たのは1年の秋季大会。体が小さいのに足が速く、動きも素早い。〝大分にも、こんな子がいるのか〟と驚きました。
ウチの聖一も高校時代はショートを守っていましたけど、今宮君の方が守備範囲は広かったんじゃないかな。肩も強く、三遊間の深いところからでも平気でノーバウンドのボールを一塁に投げてみせる。3年の頃には〝これは、もう間違いなくプロに行く〟と確信していました」
明豊時代は2年の春と3年の春と夏、計3回、甲子園に出場している。
「あれがあったから、今宮はプロに行けたんじゃないでしょうか。大悟法(久志)監督に〝そんなことじゃプロには行けん!〟と叱られてから彼は変わったんです」
明豊中・高でバッテリーを組んでいた阿部弘樹が、しみじみと語った。
ミスター・ショート
2年の春、今宮がエースの明豊は初戦で、前年覇者の常葉菊川(静岡)に4対6で敗れた。この試合、最後のバッターになったのが今宮だった。1点を返し、なおも1死一、三塁のチャンスでピッチャーゴロに倒れた。ショックだったのか、彼は全力疾走を怠った。待っていたのは併殺で試合終了という最悪の結果だった。
今宮をマークしていたソフトバンク九州地区担当スカウトの福山龍太郎はメモにこう書き留めた。
〈勝負に負けて悔しいのはわかるが、高校生としてはクエスチョンマークがつく態度〉
大悟法監督に叱られて、どう変わったのか。
福山が明かす。
「それから1年経ったセンバツ、初戦で内野ゴロを打ったんです。今度は全力疾走でした。一塁までのタイムは3秒9。〝あれ、ストップウォッチを押し間違えたかな〟と思って、他球団のスカウトのと見比べると、やっぱり3秒9。これには皆、驚いていました。
普通、右バッターだと、どんなに足が速くても一塁まで4秒はかかるんです。これまで僕が測った中で4秒を切った右バッターは、他に陽岱鋼(北海道日本ハム)ひとりだけ。
大悟法監督の厳しい指導もあったのでしょうが、彼は失敗しても、次にはそれ以上のプレーを見せてくれる。こういう選手はプロ向きなんです」
高3の春と夏はピッチャー兼内野手で3番を任された。身長171cmと小柄ながら、ストレートの球速は150キロを超えた。
その今宮の前に立ちはだかったのが超高校級のサウスポー・菊池雄星(岩手・花巻東—西武)である。