「これは中途半端な状態でカープには戻りたくない、という気持ちの表れでしょう。黒田は、少なくとも二桁勝利を挙げられるコンディションで、カープに戻りたいと考えているのだと思います。チームに迷惑はかけたくない。広島時代から常に黒田は、そういう男でした」
黒田は来年で40歳。もし複数年を選べば、その間に衰えてしまうかもしれない。それを避けるため、黒田は単年契約を選んでいる、というわけだ。
勝てる身体ではないが、とりあえず帰り、引退の花道だけ飾ってもらう。そんな筋書きを、黒田はよしとはしない。黒田は戦力として、広島に戻りたいのだ。
一体なぜ、この男はここまでカープを愛しているのか。カープへの恩とは何なのか。
「見出した男」の存在
カープ愛の芽生えは、入団までの経緯にある。
意外にも、黒田は高校時代、控え投手だった。
通っていたのは、大阪の強豪・上宮高校。強豪校といえば、招待試合や練習試合がひっきりなしにあり、エースは投げ過ぎになることも多い。黒田はそんなエースを休ませるためだけに存在していた選手だった。
しかも、たまに得たチャンスでも、ボコボコに打たれてしまう。そのたびに監督から怒鳴られ続けた黒田は萎縮し、イップスに。イップスとは、精神的な重圧が原因で、思う通りのプレーができなくなる病だ。
華々しく活躍する同級生たちのなか、キャッチボールすらままならない自分。「高校で野球は終わり」。いつしか、ごく当たり前のように、黒田はそう思うようになった。
しかし、元プロ野球選手の父親と体育教師の母親の強い勧めで、もう一度だけチャレンジしてみて、ダメだったらきっぱりと諦めると決めた。
そこで選んだのが、専修大学のセレクション。開き直っていたのが良かったのか、イップスは出なかった。黒田は見事合格を果たし、何とか野球を続けられることになった。
ただ、当時の専修大は東都リーグの2部に所属する弱小チーム。黒田は1年目からメンバー入りしたが、まだまだプロの世界には程遠かった。
当時の専修大監督・望月教治が語る。
「セレクションに来たときから、身体は大きいし球も速くて、期待はしていました。ただプロで活躍するとまでは、正直思っていませんでしたね。というのも、どこかハートの部分が弱いように感じたんです。ピッチングも、今のように強気ではなく、どこかおとなしかった」