2014.11.12

金本、新井、緒方から菊池、堂林、丸まで二流の男は、こうして一流を育て上げた内田順三 前広島二軍監督「さらばカープ、愛しき赤ヘルたち」

週刊現代 プロフィール

慶彦には「バットを『ブッ』と振るんだ、『ブッ』と」。長嶋には「腰を『クッ』『クッ』『クッ』と切るんだ」とあの独特の言い回しで熱っぽく語るわけです。慶彦と長嶋は直立不動で聞いていましたが、指導を受けた直後に、目が覚めるような、素晴らしい打球に変わった。慶彦には、インパクトのスピードの意識を高めること、長嶋には、より腰を鋭く回すことを鮮明にイメージさせたわけです。

私は感心すると同時に、自分にはできない、と思いました。長嶋さんの実績が醸し出すオーラ、言葉の重みは、私とは天と地ほど違う。現役時代に二流選手だった私が、あの人にないものを指導者として出そうと思ったら、選手に近づき、一緒に汗を流し、選手の成長を手助けする指導をしつこく続けるしかない、と心に決めました。

コーチはアイデアマンであれ

現役時代を振り返ると、打つことは若松(勉、元ヤクルト監督)にも負けないぐらいの自信はあった。オープン戦で首位打者をとったこともありましたが、足首骨折など負傷もあり、レギュラーには定着できなかった。今思うと、若松と比べて私は「なぜ打てないのか」「どうして打てるようになったのか」と、問い続ける感性が弱かった。長嶋さんもそうですが、好打者ほど「なぜ、どうして」という感性が強い。同じ練習メニューをこなしていても、その感性が違うと、自ずと結果も変わってくる。

これは野球に限らず、すべての仕事にあてはまることかもしれません。

コーチになって、現役時代の失敗が糧になりました。自分が抱いた後悔は、選手にさせたくない。打者はどんなに才能があろうが、バットをたくさん振らなければいけないし、コーチは選手に飽きさせないよう、継続してやらせることが役目。そこで、「打撃コーチはアイデアマンであれ」というポリシーが生まれました。

秋と春のキャンプで毎年同じような練習メニューを消化するのではなく、常識にとらわれないユニークなことをすると、選手は飛びついてくるのです。

たとえば数年前、スキューバダイビングでつける重りを腰に巻いて打撃練習をさせたこともあります。身体の軸を作るために体重よりさらに負荷を10㎏近くかけて練習させたのです。堂林はこの練習で、腰にキレが出て、スイングスピードが増したはずです。

コーチになって3年目の'85年に入団した正田には、私のほうが指導者として、勉強させてもらいました。彼が入団した時のカープは強く、メンバーも不動。内野に高橋慶彦、山崎隆造、外野に山本浩二さんがいた。外国人がいたセカンドの定位置を狙う正田が「どうしたら試合に出られますか」と聞いてきたので、高橋や山崎に続き、スイッチヒッターへの挑戦をすすめました。元々右打者なので、左打ちの特訓です。

「バットを抱いて寝るぐらいじゃないと成功しないぞ」

そう発破をかけ、毎朝9時から500球打たせました。さらに、マウンドからホームベースまで18・44mの約半分の位置に立たせ、打撃マシンの剛速球を打ち返す練習も課しました。

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