2014.11.12

金本、新井、緒方から菊池、堂林、丸まで二流の男は、こうして一流を育て上げた内田順三 前広島二軍監督「さらばカープ、愛しき赤ヘルたち」

週刊現代 プロフィール

'02年まで巨人の打撃コーチだった私は、嶋をじかに見るのは'03年秋が初めてでした。秋季練習で嶋と、成長が期待された若手を比べた時に、双方にはまだ力の差があった。「嶋はまだやれる」と感じました。

しばらくして、嶋のトレードを画策していた球団から「嶋を獲得する球団がない。解雇する予定だ」と聞かされ、嶋の処遇について意見を求められました。私はそこで「もう1年、嶋を置いてもらえないか」と、残留を懇願したのです。

この話し合いの後、嶋にはこう告げました。

「もう失うものはない。来年1年だけだ。腰が壊れたら壊れたで終わるぐらいの気持ちで目一杯やってみろ。俺は、お前の体調なんか気にせず、バットもどんどん振らせるぞ」

打撃コーチはいかに選手にいい癖をつけるかが大事。嶋の悪い癖は、身体の開きが早く、内角の球を踏み込んで打てないこと。二軍で3割打てても、一軍ではまったくのお手上げでした。投手出身で、打者としての土台が出来ていない面もありました。ティー打撃の時も打者にとって斜め前方ではなく、真横から投げたり、内角に緩いカーブを投げてファウルにしないように打たせることを繰り返しました。断崖を背にした嶋の覚悟は、こちらにもひしひしと伝わってきました。

秋季練習から、翌年のキャンプでも好調をキープしましたが、オープン戦終盤2試合で続けて無安打に終わり、とうとう控えに回されました。レギュラーを一度外され、他の選手に譲ってしまうと、出場機会を取り戻すのは難しい。でもこの時は、先発として出場を予定していた選手たちが、相次いで負傷してしまったのです。

嶋自身が一番考えていなかった形で出場の機会を得たその試合で3安打と固め打ちし、念願のレギュラーを確保。シーズン開幕3試合目に、中日のエース川上憲伸から本塁打も放ち、そこからとんとん拍子です。結局、その年に首位打者を獲得しました。シーズン終了後、球団幹部から「内田さんのアドバイスを聞いて良かった」とお褒めの言葉を頂きましたが、同時に選手への先入観がいかに恐ろしいものか、痛感しました。

最近のカープは丸や菊池、堂林といった若手の台頭が目立ちます。これは野村前監督が、リスクを背負う覚悟を決めて、ファームから上がってきた選手をすぐに起用してくれたから。二軍で指導する私たちがいくら「この選手はいいですよ」と推薦しても、一軍で試合に出場しなければ絶対に伸びない。ある日、監督室を訪れると、黒板にレギュラーだけでなく、ファームの選手のその日の成績や内容がほぼリアルタイムで記されていました。野村監督は、そうやってすべての選手の好不調を把握していたのです。これは、なかなかできるものじゃない。一軍の監督は目の前の試合で勝つことに頭がいっぱいですからね。

燃えたぎる闘争心の赤

セカンドに定着した菊池は無名の中京学院大出身ですが、攻守に見せる鋭い身のこなしは忍者そのもの。これは天性のもので、ぜひ活かしてあげたいと思っていた。野村監督も、菊池に迷わずチャンスを与え、才能が開花しました。

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