丸は打撃センスが際立っている。その証拠に、孤高の天才と言われ、'13年シーズン後に引退した前田智徳が「それじゃダメだよ」などと言いながら、丸に声をかけていた。前田はめったにほかの選手に話しかけない。丸の中にある将来性を見た、ということです。
隙を見て走る積極性も磨き、'13年には盗塁王にも輝いた。まだまだ楽しみな選手です。
広島に最初に来てから37年。日本ハムからのトレードが決まった直後、当時の古葉竹識監督から「代打稼業が中心になるかもしれないが、期待しているから、頑張ってほしい」と自宅に直接電話をもらい、意気に感じました。入団2年目の'78年も首位ヤクルトに5ゲーム差の3位に終わったのに、チームで海外旅行に行き、同行した当時の松田耕平オーナー(故人)から家内ともども声をかけていただいた。
家族的な雰囲気を大切にし、FAで新天地を求めた選手以外は、在籍選手を簡単には交換トレードに出さないし、見捨てない。実績のある大卒、社会人選手を早めに抜擢し、そのかわりに未熟な高卒選手をじっくり育てる。私はカープで、指導者の基礎を学びました。
カープは市民球団だけに資金は限られています。現在のマツダスタジアムが建設された時も、財政面がネックになりましたが、広島各地に置かれた「たる募金」で約1億2000万円が集まり、同スタジアム建設に一役買いました。
おカネがなくても、選手の素材に恵まれなくても、乗り越える原動力となったのは、市民のカープ愛です。赤ヘルは、選手の燃えたぎる闘争心の象徴。私は広島で培った熱きハートを巨人の選手にもぶつけます。
「週刊現代」2014年11月15日号より