2015.03.25

原武史×奥泉光「皇后たちの祈りと神々」

『皇后考』刊行記念特別対談
原武史 , 奥泉光

たとえば古代のイスラエルでは似たような状況下で、非常にダイナミックな思想の展開がありました。神ヤハウェは圧倒的に強い戦争神。だから、それに帰依している自分たちが負けるはずはないのに、イスラエルは周辺の大国に滅ぼされようとしている。そのときユダヤ預言者らは、イスラエルが滅ぶのはヤハウェが弱いからではない、むしろイスラエルの滅びはヤハウェの意志なのだ、と思考を反転させます。その思想が社会倫理と神学を結びつけ、後のヨーロッパ世界やイスラム世界で決定的な意味を持った。

大急ぎでフィクションとしてつくられた天皇制は、そこまでの思想的深みを持てなかったんだなとつくづく思います。

原: そういう意味では、昭和天皇に対して実は一番反逆したのは、他ならぬ皇太后節子だったような気がします。『昭和天皇実録』によると、1945年7月30日と8月2日に昭和天皇は香椎宮と宇佐神宮に勅使を派遣して戦勝を祈願させている。敗戦間際の土壇場で、勅使が伊勢ではなく香椎と宇佐に行ったというのは大きな謎です。これは皇太后の意志だとしか思えません。神功皇后は応神天皇を妊娠したまま三韓征伐を行った。つまり三韓征伐を前提にしなければ、絶対に出てこない発想なのです。

そうだとすれば、1945年の8月の段階でもまだ二人の葛藤は続いていたことになります。この記述を見つけたときは、学者人生でこんなに興奮したことはないぐらい興奮しました。

宮中に流れ込んだ宗教

奥泉: 『皇后考』を読んでもうひとつ僕が興味を惹かれたのは、宗教の問題です。ふつうに考えれば、天皇は国家神道の中心に位置づけられたわけだから、祈りの向かう先はアマテラスであり、歴代天皇の皇霊です。ところが、そうであるはずの宮中に、実はさまざまな宗教が皇后経由で流れ込んでいたことを明らかにされていますね。

たとえば明治の皇后美子(昭憲皇太后)と大正の貞明皇后は小さい頃から日蓮宗(法華経)に帰依していて、それを宮中に持ち込んでいる。昭和の皇后良子(香淳皇后)は戦時中からキリスト教の聖書の講義を宮中で受けていた。東京が空襲を受けているさなか、皇居ではなんと聖書の講義が行われていた。見ようによっては大変シュールな光景ですよね。ほかに儒教の影響もあったでしょう。宮中にこれほど宗教が入り込んだのはなぜですか?

原: 結局、明治政府が「神道は宗教ではない」としたことが大きいでしょうね。あれは祭祀なんだ、と。そうすると宮中にいる人たちは何によって安らぎを得ればいいのか。本物の宗教に行くしかなかったと思うんです。

こういうことは、公式の文書では基本的に伏せられています。たとえば『昭憲皇太后実録』には、皇后美子が日蓮宗に帰依していたという記述は一行もありません。その点で、『昭和天皇実録』は、天皇とカトリック信者との関係をきちんと書いていたので、そこは評価していいと思います。

奥泉: 昭和天皇が占領期にカトリックに接近していたというのも驚きでした。実際に洗礼を受ける可能性もあったんでしょうか?

原: もちろん推論の域を出ませんけれども、『実録』によるとキリスト教の関係者に占領期には50回以上会っています。なかでもフランス人神父のフロジャックとドイツ人の聖園テレジアには頻繁に会っている。フロジャックをバチカンに派遣して、向こうからは枢機卿がやってきて天皇と面会している。定期的に聖書の講義も受けていた。それ以前から聖書に親しんでいた香淳皇后に感化されたところもあったかもしれません。

昭和天皇と戦争責任

奥泉: その一方で、昭和天皇は宮中祭祀も熱心にやるようになったわけですよね。アマテラスに向かう祈りと、キリスト教の神というのはどう考えても相容れない気がしますが。

原: まず、天皇自身が戦争責任を痛感していたと思います。ではどうやって責任をとったらいいか。ひとつは退位することです。

『実録』では、最初から退位は考えていなかったというスタンスで一貫しているんですが、その根拠は1960年代後半に稲田周一という侍従長が残した回想録です。そこでは、自分は退位するつもりなどなかったと言っています。

ところが、占領期のリアルタイムの一次資料を読むと実際はかなり揺れていた。たとえば『木戸幸一日記』では、自分が退位することで戦犯たちを救えないだろうかと言っていますし、侍従次長木下道雄の『側近日誌』の中では、退位したほうが楽になるけれど、いまはできないと言っている。だから、最初から退位を考えていなかったということではない。天皇なりに何らかの責任を取らなければという気持ちは持っていたと思います。

ただ、退位という選択肢は政治的な理由でGHQによって封じられてしまったわけです。そうすると他にどういう手があるかといえば、改宗だと思います。神道を捨てる。