2015.06.14

旧日本軍の将兵たちはあの戦争をどう振り返ったか

7年の歳月をかけて戦争体験者の肉声を追った亀井宏氏に聞く

如才ないというか隙がないというか、完璧に理論武装しているように、私には感じられました。だからなのか、巷間言われている話がほとんどで、目新しいことは何もおっしゃいませんでしたね。

もう1人は、私がお会いできた唯一の俘虜体験者、丹羽幼三さん。戦友同席の場で話すということを条件にようやく承諾をもらえた人です。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を叩き込まれた元軍人が取材に応じてくれた勇気には、本当に頭が下がる思いがしました。

――『ガダルカナル戦記』には1人のコメントが20ページにわたって続くような例もありますし、方言もそのまま活字にしています。読んでいてまるで肉声を聞いているかのような気持ちになるのですが、これには何か意図があったのですか。

『ガダルカナル戦記』は生き残った人たちの証言集にしようと思ったのです。着手してから脱稿まで足掛け7年を費やしたのですが、その間にも既に取材をしたあの人が亡くなった、この人が亡くなったと連絡が入りました。今では本書に登場する方はほとんどが亡くなられていると思います。つまりガダルカナルを体験した人の証言を得るのには、私が取材した期間が最後のチャンスだったんです。

率直に言えば、必ずしもすべての証言に私が納得しているわけではありません。記憶違いというか、自分に都合よく記憶が組み替えられているというか・・・・・・。それでも、私の主観による取捨選択をあえてしなかったのは、あの時代の日本人がどういう考え方をしてあの戦争に対処したのかを、ありのままの証言から理解してほしいと思ったからです。判断はすべて読者にまかせようと考えたのです。

想い出深き人々

自宅近くにて。「執筆当時の資料やメモは数年前の大洪水で、みんなダメになってしまって…。もったいないことをしました」(亀井)

――脱稿まで足掛け7年とはまさしく労作ですね。関心も知識もなかったテーマにそこまでのめり込んだ理由は何ですか。

それまで漠然と抱いていたイメージと実際のところが違っていて、本当はどうなのか、そこへの興味が大きな理由の一つです。東條英機を例にお話しします。戦後の日本はそれまでの歴史を全否定することから始まったんです。私もそういう戦後民主主義教育を受けて、東京裁判を100%肯定して「東條英機は悪い奴だ」って思っていたわけです。

それが調べていくと、どうも違うなということになった。東條は首相と陸相を兼任していたんだけれども、大本営会議で陸相には発言権がないし、首相に至っては出席すらできないんですね。のちに大本営参謀総長まで兼任するんだけど、それ以降のことはともかく参謀総長就任前の事柄まで責任を負わせるほど“大物感”を感じさせないんですよ(笑)。そうした発見がいくつもあって、次第に夢中になっていったということですね。

もう一つは取材で出会った人たちの存在です。面白い人が多かった。淵田美津雄さんは真珠湾攻撃で空襲部隊の指揮を執った人で、自宅で話を聞いたんですが、なぜか居心地が悪い。よく見ると本棚なんかが歪んでるんですね。あとになって聞いたことなんですが、家も家具も手づくりだったそうです。海軍の軍人だった人なのに「山本五十六は凡将だ」とはっきりと言って憚らないユニークな人でした。

あと二見秋三郎さん。ガダルカナルで十七軍の参謀長を務めた方です。私が会った元軍人の多くは時代の流れとともに言葉遣いなども変わってしまっていたものですが、この人は違った。軍人の生きた化石のような人で、私を「おまえ」と呼び、いきおい私は二見さんを「閣下」と呼ぶ。自宅で怒鳴られながら取材をしたんですが、終わったら最寄りの駅まで見送ってくれるんです。

別れ際に「俺は昔の威張る癖が治らんのだ、勘弁してくれ」と言われました。その後、線路脇の柵のところに立って電車が走り出してもその場を離れませんでした。訪れる人も少なくなって、じつのところは寂しかったんだと思います。

井本熊男さんは陸軍大臣秘書官を務めた人で、いわば東條の側近です。東條が悪の親玉だから、その秘書はどんな人物かと思って、例のごとく手紙を書いた。その際、2行くらいの質問を添えたんですが、しばらくしてそれに対する回答が封書で届きました。封を開けてみると便箋10枚くらいにびっしりと書かれているんですね。また質問を書いて送ると同じように封書で返ってくる。誠実というか純粋というか、そうした人柄が文面から伝わるんですね。実際にお会いしても、印象は変わらなかった。

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