2015.06.14

旧日本軍の将兵たちはあの戦争をどう振り返ったか

7年の歳月をかけて戦争体験者の肉声を追った亀井宏氏に聞く

――長期間にわたる取材では御苦労もあったのではないですか。

やり始めて3年とか経つと、迷路に迷い込んだような気分になることがありました。「俺は一体何をしてるんだ」と。要するに、人って褒められたいんです。

ミッドウェー戦記』を出したときは、「今さら戦記モノなど書いて、亀井は何をやっているんだ。小説を棄てたのか」と、ほとんどの文学仲間から冷笑され、評価なんてされなかった一方で、五木寛之さんや、野坂昭如さん、江藤淳さんらから激励の葉書を頂戴して、それがうれしかったものです。でもガダルカナルはまだ本になっていないですから、仕事はしているんだけれども、それに対して評価してくれる人はいない。それが数年も続くと、自分が正しいことをしているのかわからなくなるんですね。

最後のほう、講談社文庫版でいうところの4巻目あたりを執筆しているころですが、手を止めてふと顔を上げると視線の先に女房の顔があって目が合った。びっくりしました。女房の顔に貼り付いていたのが冷笑だったからです。「ああ、この女はこんなふうに俺を見ていたのか」と思いました。まあ、やっている本人ですら迷路に迷い込んだ気分になるんだから、女房にしたらなおさらのことだったんでしょう。ほとんど無収入でしたから、家にカネも入れずに、この男は何を考えているんだというわけです。

原稿では地獄絵図のような戦場を書きながら、自分の家庭も修羅場になって、結局女房は出ていきました。でも、今読み返してみると、この4巻目がいちばん筆がのっていていい出来だなあと思うんですよ。妙なものですね。

そんなことがあっても最後まで書き続けられたのは、頭のすみに「これが完成すれば、ひとかどの戦記文学になる」という確信めいたものが常に消えずにいたからでしょう。

何が起きたかを知ってほしい

――私生活を犠牲にされて書き上げた作品なのですね。ところで先ほど東條英機の名前が挙がりましたが、亀井さんは戦争責任についてどう思われますか。

東條についていうなら、責任はあるけど、全責任を負うほどではないと思う。

私は「近代文學」の座談会(1946年2月)での小林秀雄の発言に共感を覚えます。彼は「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と発言しています。私も東條ら一部の人に責任を押し付けるのは間違っていると思います。

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