〈次から次に近所の野良猫を捕まえては様々な方法で殺害〉していったが、
〈中学に上がる頃には猫殺しに飽き、次第に、「自分と同じ〝人間〟を壊してみたい。その時にどんな感触がするのかこの手で確かめたい」という思いに囚われ、寝ても覚めても、もうそのことしか考えられなくなった〉
そしてページは、'97年3月16日、彼が女子児童2人を襲った日へと進む。
〈ハンマーで頭を殴った彩花さん(当時十歳)は、頭蓋骨を陥没骨折する大怪我を負い、意識不明の重体で病院へ運ばれ、そのまま回復することなく一週間後の三月二十三日に亡くなった。彩花さんを襲った直後、別の女の子(当時九歳)の腹部をすれ違いざまにナイフで刺し、全治二週間の怪我を負わせた〉
この事件が報道されても、誰も彼の犯行だと気づかなかったことが、事態を悪化させる。
〈あれは夢だったのか?
僕は現実には何もしていないのか?
どこまでが現実でどこからが現実でないのかわからなくなった〉
手記は、日本人の脳裏に刻まれた、あの事件へと続いていく。
〈一九九七年五月二十四日、僕はタンク山で淳君を殺害した〉
2日後、タンク山に隠した淳君の頭部を、家に持ち帰った少年Aは、冒頭の「行為」に及んだ。
〈行為を終え、ふたたび折戸が開いた時、僕は喪心の極みにあった。精神医学的にどういった解釈がなされるのかはわからないが、僕はこれ以降二年余り、まったく性欲を感じず、ただの一度も勃起することがなかった〉
その日の夜、自室の天井裏に隠していた淳君の頭部を持ち出し、通っていた中学校まで『スタンド・バイ・ミー』を口ずさみながら、自転車を走らせた。正門に頭部を置き、「酒鬼薔薇聖斗」の名前を付した挑戦状を添えた。
〈「酒鬼薔薇聖斗」という名前は、猫殺しに明け暮れた小六の頃にせっせと描いた自作の漫画に登場するキャラクターから取ったものだった。(中略)肝試しをするために真夜中に学校に集まった生徒たちを、酒鬼薔薇聖斗が奇怪な形状の斧で次々と殺戮するというB級ホラー映画のような内容の漫画だった〉
日雇い労働を転々と
須磨警察署での取り調べ、神戸少年鑑別所での精神鑑定の記憶が語られた後、6年5ヵ月の少年院生活について多くを語らぬまま、手記は'04年に仮退院した後を描いた第二部へと進んでいく。