五輪エンブレム、盗用疑惑にかき消されたデザインの真意

河尻 亨一 プロフィール

ベルギーの劇場「Théâtre de Liège」も別の課題に応えようとしているのだろう。しかし、課題がオリンピックとはかなり違う。こちらのロゴは「TL」をモチーフとした古典的にグラフィカルなマーク。もちろんそれが悪いわけではないが、フレキシブルに展開されることもなければ、何かと対になって使用されるわけでもない。

デザイナーが、五輪のエンブレムのコンペに出品するために(もちろん、この段階では選ばれるかどうかわからない)、そんな初期設定の異なるマークから発想して、オリンピックのデザインを考案し、それを裏返すようにしてパラリンピックのバージョンへと展開、そこからムービングパターンを作るだろうか? 

それは面倒でかえってハードルの高い作業になると思う。ある建築物の外観を見てそれを模倣し、建物全体の構造や間取り、設備といった中身(機能)だけまったく異なるものにするようなものではないだろうか。

平面のデザインの場合も「構造と機能」を考えると、それにふさわしい外観というものがあり、外見だけ模倣しても構造や機能に無理が出る。このエンブレムの完成度から考えて、「模倣した」という指摘は現実的ではないと私には思える。

なぜならデザインも設計だからだ。デザインの作業は、課題に応えるアイデアの発想に始まり、ロジックの組み立てと検証の積み重ねから成果物が生まれてくる。パッとした思いつきを描いてそれを清書しているわけではない。“首都の競技場”のようなロゴを作ることと“街の劇場”のロゴを作ることでは、スケールや求められる機能、アイデアの骨太さがまったく異なる。

「わかりやすさ」が生んだ悲劇

ではなぜ似た印象になってしまったのか?

まずオリンピックは数十億人が目にすることが想定されるイベントだ。「わかりやすさ」が必須の要件となる。世界のどこの国の人が見ても「東京だから“T”なんだな」「日本だからこのカラーなんだな」くらいのことは感じてもらえなければ表現として成立しない。独自性があればいいというものではないのだ。しかし、この「わかりやすさ」が実は難しい。今回騒がれているのもそこに関わってくる話だと思う。

佐野氏の会見でも説明されていたが、そもそもアルファベットを全面に出したデザインは、全世界レベルで考えるとかなりの確率で何かとかぶりやすい。そのために時間をかけて商標調査し、原案に修正を加え、リーガルな問題がないことを確かめてから発表する。一方「Théâtre de Liège」のロゴは商標登録がされていないという。

タイポグラフィー(文字)のグラフィックデザインに関しては、既にほとんどのことがやりつくされているとも言え、まったくのオリジナルな外見を考案するのは至難の技である(ウェブを活用して違うアプローチを探っているデザイナーもいるが)。

「T」がモチーフだからと言ってそのまま既存の書体を改変するだけでは、それこそ似たデザインは世界に山ほどある。それではお話にならないので、デザイナーは毎回の課題の解決に向けて、何らかの発想と方向性をもとに文字とそれ以外の要素を整えて行くことになるのだが、それでも出口のところで何らかに似てしまう傾向は否定できない。かといって文字やその他の要素を改変しすぎると、今度は「T」をイメージさせることが難しくなる。

佐野研二郎氏は「シンプル・クリア・ボールド」をモットーに仕事をしているアートディレクターだ。今回の件は、よりシンプルにデザイン(外見)を詰めていったファイナルの段階において、見た目として偶然似た印象が強いアイコンになってしまったのだと私は推察する。

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