
「これは人災だ!!」
中国時間8月12日深夜11時半に起きた天津の大爆発事故が起こった後、私のスマホの「微信」(WeChat)が次々に鳴り出し、朝には中国からのメッセージで一杯になった。その中で、一番多かったのが、上記の怒りだった。
人口1500万人の中央直轄地である天津で起こった事故だけに、隣接する2100万北京市民も含めて、近隣住民たちの怒りが爆発したのである。
まさにムンクが描いた『叫び』のような光景が、現実のものとなってしまった。事故から2週間近く経って、阿鼻叫喚の修羅場は収まりつつあるものの、連日の雨が地下の有毒ガスと化合し、市内のあちこちで不気味な煙が立ち上っている。現場付近はいまだに防毒マスクを着用しないと近寄れず、世界第4位の取扱量を誇る天津港は、復興のメドすら立っていない有り様だ。
事故から一週間余り経った20日に、天津市政府は「死者114人、行方不明者69人」と発表した。爆発の規模から見ても、実際にはこんなものであるはずがない。いわゆる「大本営発表」というものだろう。
決死の覚悟で撮影された「迫真現場」はすべてお蔵入り
今回の惨事は、いまの中国が抱える多くの問題を露呈させた。その一つが、メディア規制である。
中華人民共和国憲法第35条は、こう謳っている。
〈中華人民共和国公民は、言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有する〉
だが今回の中国当局は、憲法違反を犯しまくりである。日本の国会では野党が有事法制を憲法違反だと詰め寄っているが、中国政府の憲法違反はそんなレベルではない。
私は北京駐在員時代に、北京とは異なる天津の文化が好きで、ほぼ毎月通っていた。今回事故があった天津濱海新区は、新区の政府から企業まで取材して本にまとめたこともある。天津ラジオでは日本の政治経済の解説をしたし、天津人の知己も多い。そんな天津のジャーナリストの知人の一人が、次のような怒りのメッセージを送ってきた。
「天津テレビの取材クルーが事故現場に真っ先に入り、この世のものとは思えない現場の地獄絵を撮影している。そこには、大量の遺体も含まれている。その数は1000人を超えていたかもしれない。何せ3000tもの危険化合物が爆発しており、無残な屍が四方八方に転がっていたのだ。
中国共産党中央宣伝部と国家新聞出版広電総局からすぐにお達しが来て、『取材ビデオはすべて中国中央テレビ(CCTV)に差し出せ』と命じられた。没収された数は、約150本に上った。
ところが、中央テレビの番組を見て唖然とした。天津テレビが決死の覚悟で取材・撮影した『迫真現場』はすべてお蔵入りにされ、『愛と感動の救出物語』にすり替えられていたからだ。
新聞や雑誌メディアも同様に、『新華社通信以外の報道をしてはならない』とお達しが来た。そこで彼らの選択肢は二つとなった。すなわち、『愛と感動の救出物語』を連日報じるか、そうでなければ何も報じないかだ」

私もあの事故の翌朝から、気になってずいぶんと中国のテレビやインターネットニュースを見たが、なかなか真実は伝わってこない。
そんな中、一本だけ傑出した報道番組があった。それは、8月17日夜7時38分から15分間放映されたCCTVの報道特集番組『焦点訪談』だった。
番組のほとんどは、爆発現場となった天津濱海新区にある瑞海公司の倉庫周辺への取材に費やされた。まるでオウム真理教のサティアンに入っていくかのようで、ここまで核心に迫った現場取材は初めてだという。
番組はまず、北京から駆けつけた北京公安消防総隊核生物化学処理部隊26人に密着取材するところから始まった。同部隊の呂峥参謀が、「わが部隊の誇る最新観測車で、化学危険物から生物病菌まで何でも調べられる」と胸を張る。
番組の記者は、爆発現場から500mの所まで行って、採取現場を密着取材した。30分しか呼吸がもたないという防護服に身を包んで、猛毒に蝕まれた地面を匍匐前進していく姿は、まさに戦場だ。
採取現場から戻ってきた同部隊の李興華副参謀長が、汗をかきながら証言する。
「昨日も今日も、同じ猛毒ガスのシアン化ナトリウムと神経ガスが検出された。しかもどちらも危険水準の最高値を記録した」
神経ガスと言えば、日本人が思い起こすのは、20年前にオウム真理教が地下鉄に撒いたサリンだろう。神経ガスは、化学兵器禁止条約(CWC)によって生産と貯蔵が禁止されている。そんな危険物が港近くの倉庫に、なぜ大量に保管されていたのか?
さらにこの番組の記者は、公安部消防局の牛躍光副局長にインタビューする。牛副局長は、爆発した瑞海公司の巨大倉庫の配置図を黒板に描いて、内部のどこに何が保管されていたのかを、初めて詳細に述べたのだった。それは、次のようなものだった。
○重箱区:ジクロロメタン、クロロホルム、四塩化チタン、ギ酸、酢酸、ヨウ化水素、メタンスルホン酸、炭化カルシウム
○中転倉庫:硫化水素ナトリウム14t、硫化ナトリウム14t、水酸化ナトリウム74t、無水マレイン酸100t、ヨウ化水素7.2t
○危険化学品1号倉庫:硝酸カリウム、硝酸ナトリウム、珪化カルシウム、ペンキ630ケース
○危険化学品2号倉庫:硫化ナトリウム、メタンスルホン酸、シアノ酢酸、アルキルベンゼンスルホン酸
○通路:マッチ10t、珪化カルシウム94t
これだけの危険物が、12日の晩に一気に爆発したのである。まさにこの世の地獄絵だ。その跡地には、サッカースタジアムの半分くらいの「毒ガス池」ができ、危険なので人民解放軍が周囲に築いたという1mくらいの高さの堤が映っていた。
最後にテレビカメラは、この地域にたった1ヵ所しかないという汚水処理施設を映し出した。なんだかオモチャのような施設だ。こんなところで、あれほど毒物まみれになった汚水をきちんと分解処理できるとは、とても思えない。おそらく地下水による二次被害は、大変なものとなるだろう。実際、近くの川では、大量の魚の死骸が浮いている。
『焦点訪談』は、わずか15分の番組だが、大変素晴らしい内容だった。中国国内でも、大きな反響を巻き起こした。