公園や橋の名に痕跡が
戸建ての住宅が整然と立ち並ぶ、愛知県名古屋市天白(てんぱく)区もそうした、「蛇地名」をもつ地域のひとつ。『天白区の歴史』(愛知県郷土資料刊行会発行)には、〈蛇が多くおって、土砂を取るために崖を崩すと、蛇が群がって落ちてくる〉と記されているように、この地区は土砂崩れを示唆する「蛇崩(じゃほう)」という地名で呼ばれていた。
区役所総務課を訪れ確認したところ、確かにその通りだという。区内を流れる天白川によって、天白区は何度も土砂災害に遭っている。'00年に起こり、のちに内閣府が「激甚災害」に指定した「東海豪雨」でも川が氾濫。区内全域に土砂濁流が押し寄せ、2名の死者が出た。
天白区にある住宅メーカーの従業員にこの土地について尋ねてみると、「この付近は、地形として谷底の低地。そのため天白川による浸水の可能性は高く、液状化の恐れも否定できません」という返答があった。
やはり蛇崩は災害に深く結びついているらしい。一方で、町の先々で道行く人に蛇崩の名について尋ねてみたところ、「知らなかった」という答えばかり。蛇崩という地名は人々の間で忘れ去られてしまっている。
そうした中で、住宅地の中にひっそりと佇む「蛇崩第一公園」と名付けられた公園を発見した。気をつけて見ていれば地名の面影はしっかりと残されているのだ。
長年、山津波に襲われ続けてきた歴史をもつ長野県南木曽(なぎそ)町。'14年7月9日にも大規模な土石流災害が発生。JR中央本線の鉄橋が流されるなど、その被害は甚大だった。
住民たちはこうした南木曽町で起こる山津波をある独特な言い回しで表現している。
「大雨が降り続いているときに、急に沢の水が止まることがある。それが『蛇抜け』の前兆。すぐに逃げなくてはならん。さもないと石が鳴り出して、蛇抜けが起こる」(80代男性)
住民たちが使う、聞きなれない「蛇抜(じゃぬけ)」という言葉。もちろんこれも、天白区と同様の蛇地名で、大雨による土砂崩れ地帯を示している。注意深く町の周辺を散策すると「蛇抜橋」や「蛇抜沢」といった標識が目に入る。また、かつての中山道沿いを進むと、道の端々には、かつての土砂崩れによって運ばれた巨岩が点在していた。
さらに町の中心部まで歩いていくと「蛇ぬけの碑」と書かれた慰霊碑を見つけることができた。そこにはこう刻み込まれていた。
——長雨後 谷の水が急に止まったらぬける 蛇ぬけの水は黒い 蛇ぬけの前にはきな臭い匂いがする——
'53年に起こった土石流の犠牲者を祀るこの慰霊碑には、蛇抜の教訓がはっきりと示されていた。
「高級」なのに「洪水」
歴史に残るような大規模な災害。これらが発生した場所には、多くの場合、特有の地名がある。今から30年以上前、'82年7月23日から翌24日にかけて、長崎市内を集中豪雨が襲った。「長崎大水害」と呼ばれるこの水害で、市内全域は瞬く間に冠水した。
被災地の中でも、23人という多くの犠牲者を出したのが長崎県長崎市鳴滝(なるたき)だった。この町はかつて幕末期に出島で医師を務めたドイツ人・シーボルトが開設した鳴滝塾があった場所として有名で、現在も観光客で賑わう。だが実は水害多発地帯としての一面もある。