デザイナーはアーティストではない
この騒動が起こる前の私の取材に対して、佐野氏はエンブレムのアイデアに関して次のように説明した。
オーストラリアへのロケに向かう飛行機の中で、手でラフを描いたり(彼は手描きを大事にする)、Macで作業しているうちに「道筋が見えてきた」そうだ。その道筋とは、おそらくビジュアルを9分割して展開するアイデアの大元だろう。
今回のエンブレム案では、ある意味この展開パターンが、静止した状態のデザイン以上に大切だった。そこに五輪エンブレムとしての新しさがあり、オリジナリティもあるのだが、その点はあまり語られることがない。
推察するに、佐野氏は機上で、文字のパーツをどういう形にし、それをどのように分解して組み合わせるともっとも効果的なビジュアル展開ができるか? という発想が浮かんだのではないだろうか。それまではよいアイデアがなかなか出ず、試行錯誤していたようだ。
「T」の形に関しては、既存の数々の書体を手がかりに、相当な数のパターンを作って試していたと思われる。もちろん「1mm単位」レベルの微妙なバリエーションの違いも含めてだ。
私が接してきたデザイナーの方々は、驚くほどたくさんテストパターンを作る人が多い。たとえばひとつのマークを作るのに数百点など。アイデアをしぼってからも微調整を続けて細部を詰めに詰めていく。佐野氏もそうやって狙いにピタリと「ハマる」ビジュアルを探し続けたのだろう。
読者の方々もインスタグラムやその他画像共有サービスなどで経験されたことがあるかもしれないが、たとえば写真でもトリミングが1mmずれただけで、ビジュアルの印象というものはかなり変わってくる。見る側は理性ではなく、感性でその細かな違いを実は見分けている。そこまできちんと計算して世に送り出せるのがプロである。そのこだわりが極まって、0.1mmレベルの世界で作業をしているデザイナーもざらにいる。
つまりデザインとは、そういったビジュアル的思考と試行錯誤のプロセスをへて、徐々に最適な形を見いだしていく作業であり、毎回の課題と関係なく、いきなり見た目のよさげなものを作るということはない。だれかが出した答えを、自分の問題に当てはめるなんて、かえって効率が悪いというか無理が生じる。ビジュアルとしての答えがお題やシチュエーションに「ハマらない」からだ。
佐野氏の仕事に関して、ほかに「盗用」が疑われたものに関しても同様のことが言える。主なものに関してはデザインの見地から検証したが、それはエンブレムへの疑念を払拭するための補助的作業として行ったもので、本丸が撤回された以上、この記事の趣旨からそれる。よってそれらは記事末に「補足」として掲載したい。
話を元に戻そう。
まずデザインは、「企業や社会からの課題」に対して表現で答えを出すところに価値がある。そこがファインアート(芸術)と本質的に異なる。
デザイナーもアート的な表現を志向する場合もあるし、その逆もあるため厳密な線引きは実は難しいが、アートはデザインとは異なり「自分の中にある問い」から表現が出発する。
デザインの場合「人様の発注」がすべてのスタートだ。そして、相手のOKが出たところで作ったものが社会に出る。アーティストは自分で自分にOKを出す。種類は違うが、どちらもかなりハードな作業ではある。