デザインは課題解決の「手段」である
では、「企業や社会からの課題」に対して表現で答えを出すとはどういうことだろう?
わかりやすい例で考えたい。たとえば、山奥という立地条件の悪さゆえ、集客に苦しんでいる日帰り温泉施設があるとしよう。その施設の社長がデザイナーに、「ウチの温泉は泉質が自慢なんだが、知名度がいまいちで…。お客さんを増やしたいので、何かアイデアを考えてもらえないだろうか?」と持ちかけたとする。その依頼に対する各デザイナーの答えは様々だ。
「①目立つポスターを作って町に貼り、知名度をアップしましょう」という方向性で考えるデザイナーもいるだろう。「②インテリアや照明を見直して、施設の空間がもっと魅力的に見えるようにしませんか?」というデザイナーもいるだろう。
かと思えば、「③いや、最大の課題は施設の場所がわかりにくいことにあると思います。最寄りの国道にわかりやすくデッカい矢印の看板を設置して、ここに辿りつきやすくするだけで、人の動きが変わるのでは? なぜなら、施設に一番近い場所にいるのは、そこのドライバーたちなので」といった提案をするデザイナーだっているかもしれない。
このように課題に対する答え方は、それぞれのデザイナーの資質によっても、毎回の課題の内容・規模・予算・スケジュールなどによっても違うのだが、いずれの場合もどれだけきちんと相手の課題に応えられるか? が勝負となる。つまり、デザインにおいてビジュアル(表現)は、「目的」ではなく「手段」の要素が濃い。
この場合、「温泉施設へドライバーを誘導する矢印の看板を作る」ことが最善の策と考えたデザイナーの表現は、見た目としては"ありがち"で面白くないものになるかもしれない。しかし、その手段が「集客アップ」という目的を適切に達成できるなら、それがデザインとして正しい解だ(実際にも、そういったなんでもなさそうな"足下"にこそ、課題解決のヒントが潜んでいることは多い)。
そして、①~③のいずれの解決策においても、デザインは世の中に何らかの効果をもたらす。斬新なポスターができれば「いいなあ」と思う人もいるだろうし、施設の空間がリニューアルすることで快適さを満喫する人もいるだろう。ドライブ中に「こんなところに温泉があったのか」ということで施設に足をのばし、満足感を得る人もいるだろう。
そういったちょっとしたことでデザインは、企業(発注者)と社会(人々)との接点を作っていくのである。ひとつひとつの仕事は小さいものかもしれないが、それらが積み重なることで社会に大きな影響を与えている。
デザインやクリエイティブを用いた課題の解決策は実に多種多様だ。しかし、その多様性こそが社会の豊かさを担保している側面もある。いずれにせよ、どのようなお題が来ても、自分の能力の範囲から毎度毎度のベストな解法を考え、そこに向けて邁進するのがデザイナーの"スキル"であり、"モラル"とさえ思う。見た目だけではなく「独自の答えの出し方」という意味での"オリジナリティ"も存在する。
私の考えでは、佐野氏はそのモラルに忠実であろうとしたことで、逆に世間から「モラルに反している」などと非難されることとなった。なんだか皮肉なものだ。