デザイナーを萎縮させることの社会的リスク
しかし、こういった非難の声があまりにも大きくなり、デザインやクリエイティブの業界が表現へのチャレンジに関していま以上に萎縮してしまえば、その影響はやがて超巨大なブーメランとなって戻り、我々の社会にぶっすりと突き刺さる可能性も否定はできない。
なぜならデザイン(クリエイティブ)は我々が意識する以上に、日常生活に深く根ざしているからだ。
古今東西、クリエイティブのレベルが下がるとその国(コミュニティ)は衰退に向かう。その国がいかなる制度、イデオロギーを採用していようと結論は同じである。
古代ローマ帝国のコインの変遷を見てもわかるように、国の勃興・興隆期には高度なデザインがあしらわれていたものが、混乱・衰退期には「これが同じ国のお金か」と思うほどデザインが劣化している(材質もだが)。もちろん、その時代に生きた人々はたいして気に留めもしなかっただろう。
硬貨に彫られる英雄の横顔など、似たようなものとも言えるのだが、デザインの視点で見れば明らかに違う。もちろん、クリエイティブは経済的なパワーを反映するものでもある。経済の不調がクリエイティブの劣化をもたらすとも言え、その意味でデザインは「その国の健康・栄養状態」を測るバロメーターともなる。
そういったこともあって、五輪のような国際的な超ビッグイベントでは、きちんとしたデザイン案を採択してほしいと私は願っている。次回のエンブレム選定に当たり、組織委員会がよりオープンな方向を打ち出しているのは歓迎すべきことだと思う。
1回目のコンペは応募のハードルが高すぎたという意見が多く、私ももう少し広げたほうがいいと感じている。それに加えて審査の基準も明確にされるべきだろう。国際クリエイティブ祭などでは、それが常識である。
しかし、ひとつ懸念されるのは、こういった騒動が起こったのちに、多くの真っ当なデザイナーの方々はコンペへの参加を躊躇しないだろうか?
修正など煩雑な作業も含め、長期にわたって真剣に取り組んだ結果、多くの国民やメディアから家族・従業員も含めてバッシングを浴び、笑い者にまでされ、本人に盗用したつもりなどまったくなくともそれを認めるまで許されない空気さえある。これまで積み重ねてきた仕事も全否定に近い形で扱われかねない。そんな大仕事のわりには賞金も100万円ぽっきり(税込み)とのことだ。
今回は「パクり」の大合唱だったわけだが、次はまた別のアングルから社会にイチャモンをつけられる可能性もないわけではない。第一線で活躍するクリエイターであれば、選ばれれば名誉とはいえ、そんなヤバい匂いの漂う場所には関わりたくないと考えそうなものだが……。