なんだって? 現代人には「足腰」がない!?
〜武術家・光岡英稔が知る身体観
独占・最強インタビュー(2)

→前回のインタビュー「教育すると、人間は「弱く」なる!」はこちら
人類「最強」はアメリカ大統領?
−−ハワイに住んでいた頃、さまざまな武術の流派と手を合わせたそうですね。それまで学んできたことが使えるかそうでないか、シビアに検証された期間でしたか。
ハワイでは非常にいい経験をしました。これまで私が空手や柔道、古流柔術といろんなことを学んできたのは、強さに対する答えがなかったからだと思います。
だから、とりあえず試してみないとわからない。そこでいろんな人と手を合わせたのです。実践の場を通じて改めて気づいたのは、非常に当たり前のことながら、いったんやり合うとなったら何でもありでルールがないのだ、ということです。
たとえば空手や拳法、柔術を融合させたハワイの武術「カジュケンボ」はいきなり金的を蹴ってきます。インドネシアのシラットなら初手から相手の目をくりぬくとか噛みつくとかを教えます。とにかく日本の武術とは違います。
加えて、サモアンとかハワイアンの中には、何もしなくても強いし、バットで後頭部を思い切り叩かれても平然としているような人もいるわけです。
さらに言えば、銃社会ですから、そこを無視するわけにはいかない。「強さとは何か?」を本当に問うた時期ですね。
−−実際、道場に銃を持ち込んだ生徒もいたそうですね?
若い道場生の中には「結局、銃があれば練習しなくていいじゃん?」と言う人もいました。
−−そう言われてしまうと、武術とは一対一で正々堂々と勝負するものだというのはロマンに見えてきますね。
そうですね。「銃があればいいじゃないか」と言われて、やはり考えさせられました。武術家として「え、そうか?それもありか」と動揺した自分もいました。でも、そこから確かにそうだなと思って、いろいろ研究実験してみました。
たとえば銃を持った人と対峙する場合、テーブルを挟んで会食するくらいの親密な空間だとします。護衛が必要な人もおらず相手と自分だけならある程度は大丈夫です。でも4メートルも離れたら厳しいです、アウトですね。
−−至近距離のほうがまだなんとかなるんですね。
いったん銃について考え出すと、「強さ」という概念がグラグラ揺らぎます。だって、一個の銃よりは警察のほうが強いし、警察よりも軍隊のほうが強い。いや、軍を動かせるのは政治家だから、政治力のほうが強いのか、とか……。
そんなふうに単純に強さを考えていくと、「アメリカの大統領になるのが最強じゃないか」となるんですね(笑)。でも、大統領選に出るのはなんか違うな……と自分にツッコミを入れたりしていました。
結局は黙々と自分のできることをしていくしかないんです。