「天下統一」はなぜここまでコスパが悪いのか?
秀吉と家康が流した汗の費用対効果とは
学生時代、ある先生が言った「政治史の研究は性格が悪い人の方が向いているのよ」とのセリフが忘れられない。私もまた、良し悪しはともかく、斜に構えた物の見方には共感を覚えるタイプなので、それ以来ずっと政治史は魅力的なテーマでありつづけた。
このたび講談社現代新書で書かせていただいた『天下統一 秀吉から家康へ』は、その一つの試みである。豊臣秀吉に徳川家康、大河ドラマでもおなじみの二人の天下人が、どんな政治権力を作り上げていこうとしたのか。表向きは華やかで煌びやかなムードに満ちた桃山文化の裏で、どんな政権構想が練られていたのか。
二人の政治史を考えるにあたって、本書では、海外の国々との関わり方を切り口とした。斜め上を狙ったわけではないのだが、前著『海の武士団 水軍と海賊のあいだ』(講談社選書メチエ)で取り上げた政治権力と海との関係性を敷衍し、彼らがアジア国際社会に外交デビューし、諸国に承認を求めていく舞台裏を追ったのである。
この時期の対外関係といえば、朝鮮出兵や朱印船貿易などが思い浮かぶが、関連する史料を読んでいくと、それらはバラバラなようでいて、じつは根底で共通した政策意図を担っていたことに気づかされる。天下人は周囲に自分を認めさせようと必死なのだ。
国内の統一を果たしたからといって泰然と構えているわけではなく、リアルな姿は、とにかく汗をかき、自身の権威を高揚させ、優位性を勝ち取ることに懸命なのである。
汗だくの理由は、彼らが拠りどころとした権威にある。これを当時の言葉で「武威」というが、武力そのものだけでなく、大きな武力を持つものが統治を安定させ、ひいては社会の富や技術も掌握しうるという意味がある。戦乱のなかで勝ちあがってきた天下人は、もっとも大きな武威を持つがゆえに、諸大名の上に君臨するという理屈なのだ。
その武威を象徴するものが、天下人の居城に高くそびえる天守閣である。軍事的な機能は低いにもかかわらず、技術の粋を集めて高層建築を実現させ、キラキラの金箔で飾り立てる。天守を文字通りの金字塔として、天下人は自身の武威を社会に誇示していったのだ。