船場吉兆ささやき女将、いまもささやきは健在
記者の質問攻めに遭う息子の横で、うなだれたままの女将。彼女はその姿とは裏腹に、こんな冷厳な指示を、ささやき声で息子に飛ばし続けた。
「大きな声で……」「記者の目を見て……」「『知らん』と言え……」

その女将の声は、すべてマイクに拾われていた。'07年10月、大阪の老舗料亭・船場吉兆の記者会見での一幕である。
船場吉兆は、食材の産地偽装や残飯の使い回しなど、度重なる不祥事で翌年5月に廃業に追い込まれる。冒頭の女将・湯木佐知子氏は、このときの会見で「ささやき女将」の異名をとることとなった。
あれから8年あまり。現在は佐知子氏の次男・尚二氏が、大阪は北新地で日本料理店「湯木」を営み、軌道に乗りつつあるという。尚二氏が話す。
「母は店のすぐ近くのマンションで、細々と年金で暮らしていますが、おかげさまで元気です。
今でも、母からは頻繁に電話でアドバイスを貰いますね。船場吉兆時代のお客様が予約を入れてくださると、母は『この方は、お酒はおちょこじゃなくてグラスよ。それもレモンを添えて』とか『この方は赤ワインがお好きだから』と、一人一人の好みを覚えていて、教えてくれるんです」
いまも「ささやき」は健在だった。
「私は寝てないんだ!」
世間を騒がせた会見といえば、記者に詰め寄られて「私は寝てないんだ!」と逆ギレした、雪印社長・石川哲郎氏も記憶に残る。
雪印は'00年夏に1万4000人規模の集団食中毒事件を起こし、石川氏は辞任に追い込まれた。
「辞任直後に、母校・小樽商科大学のOB会理事長に就任しましたが、すぐ追われている。会員から『不祥事で辞めさせられた社長がトップなんておかしい』と声が上がったそうです」(雪印元役員)
現在は、都内のマンションに家族と暮らす。
「病気で足を悪くしてしまったので、リハビリに通っています。お話はできません」(同居する家族)