2016.02.12
# 雑誌

前田智徳ロングインタビュー
「あなたがいたから、プロで24年やれました」

元広島スカウト宮川孝雄氏に捧ぐ
週刊現代 プロフィール

前田に厳しい言葉を投げかけた宮川氏自身、現役時代は自らをとことん追い込む人だったという。宮川氏の4年後に広島に入団し、遠征先で同部屋になることが多かった苑田聡彦スカウト統括部長が振り返る。

「宮川さんは朝食後、部屋に戻ると、パンツ一枚になって昼までスイングする。昼食後にさらに1時間振ってから、球場入りする人でした。代打としてバット一本で勝負する、という姿勢は凄かった」

スカウトとして前田を評価したのは、彼の中に自身と重なる〝職人根性〟の芽を見たからかもしれない。

当初、僕が評価してもらったのは守備と肩で、宮川さんが得意とする打撃には課題がありました。宮川さんの教えに従い、僕は球団から支給された約1㎏のマスコットバットを振り続けました。当時、スポーツメーカーとの用具契約はもちろんしていませんし、一本数万円するバットを1ダース購入することは年俸が低かった(推定480万円)僕にとっては、高い買い物でした。

ですから、メーカーの人にお願いして半ダースだけ買い、試合でしか使わなかった。来る日も来る日も、練習では1㎏のマスコットだけを振る。こうしてバットを振る力を養うことができたんです。

僕は今でも「石の上にも三年」という言葉を信条にしています。何かをやる、と決めたら3年間、続ける。その結果、出た課題に対して、新たにチャレンジする。現役生活もその繰り返しでした。

幸い、2年目から129試合に出て、3年目の'92年から'94年までほぼフル出場を果たし、打率はすべて3割を超えました。打席でストレートを待ちながら、変化球が来ても、無意識に体が自然に対応する。相手投手の配球に頭を巡らせず、「来た球を打つ」という「究極の打法」に近づいている手ごたえがありました。

一番に病室に来てくれた

中日戦でヒットを放ち、一塁に行くと、神のような存在だった落合さんに声をかけてもらうようになりました。気にかけてもらえると接しやすくなるので、このチャンスを逃したくなかった。

落合さんに限らず、打撃の時の力の入れ具合や練習法を、大先輩たちに聞いて回りました。広島の元監督の山本浩二さんはもちろん、王貞治さん、体が小さくても本塁打を打つ若松(勉)さん、福本(豊)さん、掛布(雅之)さん、立浪(和義)さんにも頭を下げました。

しかし、その陰で実は体が悲鳴をあげるようになっていたんです。一軍に対応できる体にしようと、必要以上に追い込み、パワーをつけようとウェートトレーニングを積んで、無理やり食べ、体重も増やしました。でも、段階を追わずに急激に体を大きくしたことで体に負担をかけ、徐々に疲れが足にたまっていたのです。

入団4年目の'93年からアキレス腱の痛みがひどくなり、6年目の'95年のシーズン前には、「症状がこのまま改善しなかったらオフに手術する」と決めて、開幕戦にのぞみました。そのシーズン序盤の5月23日のヤクルト戦で、一塁への走塁中、右足アキレス腱を断裂してしまったのです。

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